2008年02月23日

2月の放送パート2 神戸出身、でも震災時神戸にいなかった!

2月トーク2
川池知代さん
現在JICA兵庫国際防災研修センター業務調整員
神戸生まれの神戸育ち、親の実家は長田神社の北側。でも震災当時は、JICA兵庫の青年海外協力隊の一員として、西アフリカの象牙海岸共和国=コートジボワール共和国にいた。事務所からの連絡でCNNのニュースを見たときは、生きた心地がしなかった。
一時帰国で神戸に帰れたのは、95年の夏。長田のまちは、見渡す限り更地だらけの広大な平原。まるで夢を見ているようだった。半年たった被災地は、いろんな人々が「あの時は本当に地獄だった」とか「近所の人たちの救援のおかげで、助け出された」とやっと話し始めていた時期。幸運にも怪我もなかった親戚はもとより、生まれ育った地域の近所の人々の話を聞く中で「なんで自分はその苦労を共にしなかったのか」「神戸人なのに何も知らない」という「知らない」「経験」しなかったことに罪悪感を覚えた。
そんな時ひとりの友人の言葉が自分を救った。「あんなひどい経験!あんな残酷な景色を見なくてよかった!それでよかったのよ」という言葉。
経験しなかった自分だからこそ、神戸で生まれた様々な助け合いの心、そして新たに生まれた様々な取り組み、それを伝えてゆく人間となれる。そしてアフリカの発展途上国といわれる人々の便利ではない生活の中で培われているその生きる力、ノウハウも合わせて日本に伝え、相互の協力体制というところから現職へと繋がっていると感じている。
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2月の放送パート1 祭事を使って東灘のまちづくり。

p_08022215.jpg〜2月のゲスト〜
左がパート1のゲスト弓弦羽神社の宮司澤田政泰さん
そのお隣は、パート2のゲストJICA兵庫国際防災研修センター業務調整員の川池知代さん
右端はこの番組のご案内役の西條遊児さん。




2月のトーク1
澤田政泰さん
弓弦羽神社の宮司

神社のある東灘地域は、倒壊という被害が一番ひどい地域であった。
神社も大きな被害を受けたが、御神殿は幸いにして大丈夫だったのでいろんな人々との連携の中で、地域のコミュニティの場として使っていただいた。
東灘の地域の復興、再建はもちろんたいへんな思いの中で、ひとりひとりの努力の中で行われた。これは神戸での震災以後の復興においていずこも同じで、一人ひとりの個人の大きな頑張りの中で再建してゆかざるを得ない状態であった。
しかし大きな衝撃を受けたのは、一応の再建の目処が、東灘では見えてきたな、、と思った震災7.8年のころ、宗教者としてネットワークを組んでいる「カトリックたかとり教会」を訪問した時、長田の再建の遅さに胸が痛くなった。この地がいかに大きな痛手を負ったのか、そして同じ神戸ということであっても、その地域間格差というものを体で感じた。
しかし経済力があれば、それで再建・復興がなされるのか...と問えばそうとばかりはいえない。東灘では、まちの「ハード」の面では再建されたものの、向こう3軒両隣といった建物が、高層マンションとなり、また販売価格も高い1フロアーに2軒だけというような居住空間が構成されることとなり、まちの人々の交流というのは希薄になった。
そこで昔、地域のまちの人々が年齢もなにもかも飛び越えて、共に住む人同士というくくりで行った、地車祭(だんじりまつり)」 を復活させた。
堅固な建物が造られても、人と人の心の交流、顔と顔の見える関係、それのない「まち」は空虚であり、災害に強いとは言えない。人と人の血の通ったネットワーク作りこそが、「まち」を強固にすると実感している。
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2008年02月02日

1月の放送パート2 野田北部まちづくり協議会の取り組み

1月のトーク2 浅山三郎さん(野田北部まちづくり協議会会長)

神戸市長田区は40年前から地域住民による「まちづくり」の取り組みが行われていた。それは真野地区での公害問題、丸山地区での住環境問題から始まり、野田北部も震災前から、地域住民の高齢化と軒を連ねた長屋や狭い路地の「まち」から3世代同居のような「住みたいまち」への転換を精力的に進めていた。その最初の第一歩として1994年12月に地域のコミュニティゾーンとしての大国公園を完成した。その直後20日ほど後に大震災に見舞われ、野田北部地域は、半分近くが火の海となった。
しかし前年度における公園を整備するという取り組みが生んだ、自分達のまちは、自分達の手でという熱い思いは、野田北部まちづくり協議会のネットワークを強固なものとしており、自分達で自分達を救援するという新たな地域自治の歩みを進めた。それら地域での以前からの顔の見えるネットワーク作りが、その後の行政と、それぞれの立場にたって行われている自分達の住みやすいまちを自分達の力も発揮し創っていくという、地域自治の歩みを加速することとなった。
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1月の放送パート1 震災時の神戸市土木関係者のネットワーク

1月のトーク1 北浪邦夫さん(丸正建設株式会社代表取締役)

神戸は土地柄風水害が多く、神戸市土木協力会という歴史ある組織が以前からあったこと、そして震災後半年は総動員で、救援・復旧活動にあたったという意外に知られていないお話をしていただいた。
またこのネットワークが強力に働いたということを、ぜひ他地域の方々にも知っていただき、日常からのネットワークがいかに役に立つか、そしてそれはまた、地域内のネットワークが必要なのはもちろんだが、他地域ともネットワークしておくことの必要性も浮き彫りにされた。
例えば、震災当時被災地域での混乱の中、棺の手配、そしてそれを遠隔地の火葬場へ運ぶための車両など、北浪さんがネットしておられた岡山や名古屋など土木関係者が、御協力してくださった。
災害地でできることと別地域での協力、それが上手くリンクしあってこそ早急な復旧が可能となる。
ネットワーク構築は日常の中で作らなくてはならない。
posted by FMYY at 17:26| Comment(0) | TrackBack(0) | ポッドキャスティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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