2008年05月06日

5月の放送パート2 震災で店は全壊、でもそこから山田監督、寅さんと出あった!

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5月のトーク2 石倉悦子さん くららべ〜かり〜オーナー
もとのパン屋のあった山吉市場は、半分は全壊!後の半分は半壊!
JR新長田周辺の都市計画のため現在、山吉市場はなくなってしまった。自分達の商店再建のため、地域の人々の中から生まれた言葉「寅さんを長田に呼ぼう」突拍子のないアイディアに思えたが、なぜか心が動いて山田洋二監督にお手紙を書いた。その内容は、「震災で全壊したまち、そして自分達のお店、でも以前からお付き合いのあった障害者ネットワークから届くさまざまな連絡や支援の物資で、笑い声が上がることもある。そんなパン屋のあることを知っていてください」
まさかと思った山田洋二監督からのお葉書「覚えておきます」
そして寅さん最後の映画に「パン屋のくららべ〜かり〜」が登場。
撮影風景を見ていた自分達もエキストラとして映画出演も果たした。
その後も山田洋二監督とのつながりは途切れず、次々と制作される映画にもスタッフ一同御招待いただいているばかりか、感想をきかれることもしばしば。
著名な方だけでなく、震災以後の人と人とのつながりは益々、濃く、太く、強くなっている。
誰でも、そんな人でも、力を出せる場面、状況、その時があるということを実感している。
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5月の放送パート1 95年1月の極寒の川で洗濯していた女性の姿が忘れられない!

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5月のトーク1 岡部隆一さん 株式会社松原リネンサプライ代表
30年前から続いているホテルなどのリネンを納入している。顧客である神戸のホテルが20軒近く倒壊。ご自分の工場、会社は被害は少なかったが、顧客の被害は甚大であった。
岡部さん御夫婦は、毎朝御自宅の明石港のほとりのマンションから明石城まで散歩するのが日課。1995年1月17日の朝も4時半くらいから非常階段をおり明石城まで散歩、ちょうどお堀あたりで震災にあった。ゴーという地鳴りと共に巨大なお堀の水が激しく揺れる様は、まるで夢を見ているようであった。あわててマンションに戻ると1時間ほど前降りた非常階段はものの見事に、崩れ落ちていた。
マンション自体は損傷はそうひどくなかったが、自宅隣の方のドアは開けることができず、岡部さんの家のバルコニー側から脱出することが出来た。
この時の大きな教訓。
それはこのマンションは、頑丈な高級マンションであったが、リゾートマンションであり、日常的な近所付き合いがなく、自治会は組織されてはいたが、機能はされなかった。やはり一番大切なのは、顔と顔の見える関係、それを日常から構築しておくこと。いくらシステムをつくっても、そこに血の通ったお付き合いがなければ、何の役にも立たない。そのことから現在では声を掛け合う機会の増える地域でのボランティア活動を積極的に行っている。
また震災後の光景、工場の近くの川で赤ちゃんをおぶったお母さんが、ムツキを洗っている姿を見た。リネン会社ということもあり、布の提供、また工場内の水を使っていただくよう声をかけた。
岡部さんが気づくまで、会社の社員がそのこと気がつかなかったことに大きなショックを受けられた。また自分の娘がそういう立場であったら、、、ということに思いをはせ、気づく!思い至る!ということの大切さを伝えたいと強く思われた。

posted by FMYY at 15:12| Comment(0) | TrackBack(0) | ポッドキャスティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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