2008年11月05日

11月のパート2 地域の中で顔の見える関係作り

0811_2 .jpg

11月のトーク2 カトリックたかとり教会 鈴木迪子さん

FMわぃわぃでは「アフタヌーンねね」を担当。カトリックたかとり教会の近隣に在住し、震災直後は救援基地のボランティアとして活躍しました。

震災の時、火災にはあいませんでしたが家は全壊でした。当日は鷹取中学校に避難しましたが、人がいっぱいだったで教会にいくことにしました。すぐに救援活動がはじまったので、退職したばかりの夫と活動することになりました。
全国から何千人という人々がかけつけてくださって、とても活気がありました。ボランティア元年と呼ばれましたが、それを肌で感じました。みんな家族のようでした。あの時があるから今があるのだと思っています。

復興が進む過程で、まちづくりについて色んなことを考えるようになりました。互いに知らないと助けようという思いも頭に浮かびません。外から来てくださる方に助けてもらうことも多くありますが、震災の直後や状況が落ち着いた後では、まちの中で助け合うことが必要です。
「西須磨だんらん」というNPOができましたが、そこでは色んなことを勉強しました。介護保険を活用して、高齢者の見守りや訪問など互いに助け合えるコミュニティづくりを行っています。高齢者の食事会を行っていますが、公園内の施設で実施していることから子どもが安心して遊べる場になっています。高齢者も子どもの声を聞くことで元気をもらえます。顔が見える関係づくりが出来ているのです。

震災後、教会内の建てられた集会所「ペーパードームたかとり」が台湾に移設されるにあたり、現地に行ってきました。その時、台湾での震災の後にできた長青村という施設に行ったのですが、そこに住む高齢者自身が自給自足の生活をされていました。自分でやれることは自分たちでやっていこうという姿勢にとても刺激を受けました。それで、だんらんでの食事会も参加される高齢者と一緒に準備をしようと声をかけるようにしています。

まちづくりには、たかとり教会はもちろんですが、NPO/NGO、政治、企業、学者、住民の関係がうまく潤滑することが大切です。NPO/NGOが中心になってその関係をつくっていくことが必要なのだと思っています。
posted by FMYY at 14:07| Comment(0) | TrackBack(0) | ポッドキャスティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月04日

11月のパート1 日常からの家作り

0811_1 .jpg

11月のトーク1 椛蜥ヒ板金工作所代表取締役 大塚利一さん

東灘区西岡本在住。建築関係(立体駐車場など)の板金工作所を経営しています。

震災当時は民生委員を務めていたことから、直後は女性を中心に高齢者の家を周りました。閉じ込められた方がいらっしゃって、家をつぶして助け出し、貴重品を運び出したりもしました。
地域内を周っていると、煙草をくわえて歩いている人がいてとても腹が立ちました。ガス漏れがあちこちで起こっていましたし、実際に火災が起こった地域もあります。火の始末についてはシビアに考えて欲しいと思いました。

家は修繕したばかりでしたので大丈夫でした。自分の住んでいる家がどのような状態にあるのか、気をつけておくことはとても大切なことです。お金がかかってもやっておくべきことがありますので、皆さんも日ごろから心がけておいてください。
ただ、家の中はグチャグチャになっていました。仕事が忙しく、震災当日も朝3時に起きて仕事をしていました。後で寝室に行くとテレビが落ちてきていて驚きました。
学校も被害を受けていてどこに避難すればいいのか分かりませんでした。停電したので、テレビはもちろんラジオも聞くことができませんでした。それで、周囲にも聞こえるように、車のラジオを大音量でかけて情報収集につとめました。

仕事面では特に苦労しました。震災後、復旧関係以外の大型トラックは地域内に入ることができなかったので、時間外に作業をしました。輸送の手配が思うようにいかず、仕事をすればするほど赤字になるといった時期もありました。

住んでいるところで顔見知りの関係があるというのは大切なことです。民生委員で訪問をしても、玄関もかけてくれない家がありますが、いざという時どうすることもできません。普段からのお付き合いというのはとても大切だと思います。
posted by FMYY at 19:17| Comment(0) | TrackBack(0) | ポッドキャスティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

10月のパート2 言葉の壁、しかし人を思う心はそれも超える!

0810_2 .jpg

10月のトーク2 FMわぃわぃDJ・ラテンコミュニティ代表
大城ロクサナさん 
水曜日の夜、この地域に住んでいるラテン人の方が日本で
もっとより住みやすくなるようにFMわぃわぃで
スペイン語で生活情報を伝えています。
また自分の文化や習慣を日本語で伝える番組でもあります。

ペルーの日系三世で御爺さんが沖縄の方です
日本に来日したのは1991年と今からもう17年前になります。
震災当時は日本語をほとんど話すことも出来なかった、
家族も日本語がほとんど分からないままでパニックでした。
須磨区在住だったために周りから聞こえる「ツナミ」
という言葉が聞き取れたが「ツナミが来ない」という情報
かどうかは、分からなかった。

人の流れに乗って何とか広場まで辿り着くことが出来ました。
ただ長い時間が流れたのに空が明るくならない事が不思議でした・・・が
火事の煙が原因であることが暫くしてわかりました。
その時はとても不安でした。
広場で旦那さんがおばちゃんを寒さからセーターを渡して助けたら、
今度はおばちゃんが中学校に連れて行ってくれました。
ペルーでは被災した時に何処かに集まるというシステムがありませんでした。
後にそのおばちゃんがセーターを返しに来てくれました。
おばちゃんとはその三度しか会ってないのが心残りではあります。

震災当時は日本語が話せなくてなにより「言葉の壁」で苦労しました。これから日本で生活する上で日本語を勉強したほうが良いと思いました。また震災時に伝えたい事も伝える事が出来ると思いました。

現在は様々な情報を全国各地で発信しています
posted by FMYY at 19:14| Comment(0) | TrackBack(0) | ポッドキャスティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

10月のパート1 虫の知らせ!の体験談


0810_1 .jpg


10月のトーク1 鞄血商会代表取締役 志水利達さん

神戸甲南ライオンズクラブのメンバーで、
約20年近く活動されています。
昔、お父様がガラスパテというガラスの淵を止める物を
造ってらっしゃいました。
今はそれをヒントにシーリング工事のお仕事をされています。
シーリングというのはガラスを固定させるゴム丈の物で、
いわゆるクッション材を造ってガラスの建物の建築等に
携わっています。
神戸の復興ではとても忙しく、とても神経の使う仕事でした。
被災状況としては会社も自宅も幸い無事でした。

震災を通じての思い出としては、
震災の二日前に電気の使用量も計算された新築の家なのに
ヒューズがとんでしまい、奥様に懐中電灯を買いにいってもいらいました。
その懐中電灯がすぐに震災で役に立った経験があります。
他にも、お祖母さんが何かあったときに
現金をすぐに持ち出せる様にしていて、
その教訓を受け継ぎ寝室に現金を用意していたお陰で
合計40台のバイクを買い、すぐに動くことが出来ました。
posted by FMYY at 19:11| Comment(0) | TrackBack(0) | ポッドキャスティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
人気商品

Seesaaショッピング
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。