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12月のトーク2 野田北部自治会理事 高木邦子さん
長田区長楽町在住。FMわぃわぃ番組審議委員で、地域では民生委員も務めています。
震災の時は周辺の家はほとんどが全壊で、死者も多く出ました。そんな中、私の家だけが壊れずに残りました。震災の8年前、自宅を新築にした際に重量鉄骨を使ったからです。夫が建築関係の仕事をしており、建物の耐震の重要性を知っていたこともあり、地下13メートルまで掘って基礎をつくりました。費用もかかりましたし、車が通ると揺れるので、当初は不満をもっていましたが、その建て方がよかったことを後から実感しました。
しかし、震災の直後は私の家だけが残って辛かったです。家が残ったのだから他の人の世話を言われたりして、肩身の狭い思いをしました。
震災があった日は、飲まず食わずで暗くなるまで近所の家々に声をかけて走り回りました。声がしない家の無事を確認したり、助けを求める声に応じたりしました。
夕方になって、冷蔵庫の中にあるものに火を通して食べていると、その臭いにつられて近所の人がやってきました。芋があるから焼かせて欲しいとやってくる人もいました。夜になって車のライトをつけていると、知らない人たちも集まってきてみんなで一緒に過ごしました。
たかとり教会に救援基地ができてからは、全国から集まってくださったボランティアのための食事づくりをしました。指の形が変わるのではないかと思うほど野菜を切りました。今では想像もつかないような力がわいていました。
食事のメニューは、その日に送られてくる材料で決めました。野菜が多かったので、天ぷらをよくしましたね。
地域には色んな宗教施設がありますが、たかとり教会が最もオープンだったと思います。誰もが一致団結していました。
困ったことは、洗濯機が使えなかったことです。ライフラインの工事は居住者が多いところが優先されましたので、ある程度の人が戻ってこないと復旧できないと言われました。私の家だけが残っている状態が続いたことから、特に電気の復旧は遅くなりました。
震災の経験から言えることは、日ごろから訓練をしておくことが大事だということです。聞くだけでなく、実際に体を動かすことでいざという時に対応できます。
また、ご近所とのお付き合いを大切にすることです。まず安否を確認するのは、より身近な人ですから。