
6月トーク1 野田北まちづくり協議会事務局長 河合節二さん
地域住民として当時の話、そして今に続くその思い
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<トーク1>
生まれも育ちもこの地域で、ここで地震にも遭い、昔から知ってる人の遺体を出したことは忘れもしない。この人の分まで生きて、地域をよくしたいと思ったことが、地元のことをやり始めたきっかけだ。
震災当時、自分は33歳だったが、この地域では20代〜70代など各年代が集まってきたということは恵まれていた。
震災より2年前に、まちづくり協議会ができていたので、神戸市の他の地域より立ち直りが早く、区画整理では市内で一番だったが、住民と行政との合意形成は難しかった。当時、区画整理などで、神戸市内は行政に反対という雰囲気だったが、野田北部は地域も行政もお互い被災していて、これからよくなっていかないといけないので、行政とも仲良くやっていったらいいと進めた。専門家のコンサルタントも入っているが、まちづくり協議会という地域の住民組織が間に入ってやったということが大きかった。
当初の協議会の目的は、3世代が同居できるまちにしたいということだったが、現在3世代4世代が住んでいる。地震で被災した分をスピーディーに回復でき、若い世代が入ってきてくれた。問題であった老朽家屋とか高齢者、住環境の問題等が地震で解決し、それ自体は不幸なことだが、災い転じて福となすで、災害に強いまちづくりという方向に進めたのかもしれない。
当時のカソリック教会の神父が門戸を広げ、教会がボランティアの中心になり、地域も一緒になって、外国の方も混じって、それが今にも繋がっている。
6月トーク2 野田北まちづくり協議会事務局長 河合節二さん
たかとりコミュニティセンター1階に震災資料室設置
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<トーク2>
たかとりコミュニティセンターにスペースを借りて、震災資料室を作れた。市外から研修や修学旅行で来られて、映像を見てもらうこともあるし、地域の案内をすることもある。
野田北ふるさとネットは、便宜上組織としているが、本来的にはネットワークの場の提供だと思っている。地域内外の各団体組織をゆるやかに繋ぎ、月1回の定例会議で情報交換をするという場の提供。そこで、各団体のトップクラスに、一般の人、行政も入って情報交換をすれば、バッティングすることがなく、お互い協力しようとなる。地域でやることも気がつくかどうか、気がついてもやるかどうか、そこで気がついたらやろうよとしている。そういう人が、他の地域より多いかもしれない。
JR鷹取駅の駐輪場は神戸市が設置しているものだが、たかとりコミュニティセンターが指定管理者になり、地域が大部分を管理するという協力関係ができている。そこでは多くの高齢者が元気に働いて、高齢者が動く場があるというのはいいことだが、70代以上がほとんどで、60代がいないという問題もある。
大きな災害があったときのアドバイスとしては、まず自分が生き延びること、生き延びたら人を助けること。でもその前提として知っている関係でないとならず、空気みたいな存在にならないこと、地域でも職場でも自分の仲間がいるという状況にしておくこと、そうすると助けてもらえる確率は高い。