
7月のゲストは、2010年3月までラジオ関西局員だった吉田秀子さん。ラジオ関西の同じ放送仲間である西條さんと情報伝達という観点でのお話をしていただきます。
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■震災当時は?
「ま〜るい地球と…谷五郎モーニング」のパートナーで水曜日と木曜日を担当していました。震災は火曜だったので、私はまだ家にいましたが、すぐに西神中央駅まで行きました。しかし、地下鉄止まっていて、家に戻りました。局へ電話がつながったので、レポートを入れました。3、4人で乗り合って、須磨離宮公園まで来ました。松もマンションも家も倒れていました。
■ラジオ関西のスタジオ(須磨)に着いて
見てきたことをスタジオですべて話しました。スタジオの分厚いガラスも壊れ、蛍光灯がブラブラと揺れていて、ラジオ関西も全壊状態でした。危険な状況だったけど、みな使命感に燃えていました。
その後、板宿や長田にも足を運んでレポートしました。「どうして神戸なの?」と本当に思いました。
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■震災の時、ラジオ関西は?
69時間続けて震災情報を流しました。CMを流さない運営できない、いつから通常放送に戻すか悩みました。営業の人、経営者みんな葛藤がありました。松下電工などのCMもあったが、リフォームなど夢のある話ばっかりでした。会社名だけにするなど営業の人にかけあってもらったこともありました。
■神戸市役所に取材に行って
全国から放送局のクルーがわんさか来ていました。私たちは震災ルック、そこでまず違いがありました。被災者目線で、被災者の役に立つことを放送しようとしていました。でも、東京などから来た記者は、明らかにネタになるようなことを探していました。すべてがそうでないとしても、取材に対する意識が違うように思えました。
■リスナーから寄せられる情報
入った情報を検証している時間はありませんでした。「ブルーシートは○○に行けば手に入ります」など、2、3週間くらいは、「困っている人のために…」という共通の思いが社会全体にあって、正しい情報が伝えられていたと思います。でも、ある時期を過ぎると、「女の子だけなら預かれます」など、眉唾ものの情報も増えました。
■最後に
FMわぃわぃは、ラジオ関西より、もっともっと地域のことが分かっている放送局です。こちらから「○○さんの安否はいかがでしょうか」という安否情報の呼びかけができるのではないかと思います。そのような地域との密着性が強みだと思います。
普段から信頼されていないと、「放送局で、この情報を流してほしい」とは思ってもらえません。災害時、こちらから取材にいける範囲は限られています。だから、情報が集まってこなければ意味がありません。そのためにも、普段からラジオを聞く習慣をつけてほしいと思います。