
2011年1月のゲスト NPO法人阪神淡路大震災1.17希望の灯り(HANDS)理事長の白木利周さん。白木さんご自身も、震災で息子さんを亡くされました。
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■1.17希望の灯り(HANDS)の活動
東遊園地に希望の灯りを作っていただきました。希望の灯りをお分けする活動(分灯)や、各地にある慰霊碑をめぐるモニュメントウォーク、復興のシンボル「はるかのひまわり」を全国の皆さんへ送る活動などを行っています。一番大きなものは、1.17のつどいを行うこと、震災を次の世代へ伝える語り部の活動です。ウォークは99年から始まり、この4月で60回目を迎えます。
■息子さんの死、いまの活動
息子は神戸大学3年生、21歳で亡くなりました。家は、東灘区御影でした。家の倒壊が多い地域でした。私がそこにいて、助けることができなかったという悔しさ、「なんで息子じゃないとだめだったの?」「かわってやりたい」という気持ちが強かったです。「会いたい、でも会えない」というのが、悔しいし、残念で仕方がなかったです。
心の踏ん切りには、4年かかりました。偶然、神戸大の慰霊祭に出かけました。そこで、(ある番組の中の)ウォークで神戸大に来られていた方と出会いました。その方との出会いもあって、トンネルから抜け出すことができました。その出会いが、このような活動に入るきっかけを作ってくれました。慰霊碑のマップもつくっておられて、私の子どもに関する碑は、4箇所ありました。他にもたくさんの碑があったことに驚きました。自分の足で回りたいと思いました。
■ウォークに参加して・・・
遺族の方との出会いが、気持ちを分かる人たちとの出会いでもあります。「自分たちだけが不幸」ではなく、「同じ立場の人がたくさんいる」と、お互いの気持ちをわかちあえます。心の負担が少しずつなくなっていきました。当時元気だった妻も、ウォークでみなさんと会うことを楽しみにしていました。しかし、妻は途中から体調を崩して。やっぱり「亡くなった子どものこと」を思っていました。それが結果的にはストレスをためる原因であったのかもしれないです。
■東遊園地のモニュメント
東遊園地のモニュメントは2000年にできました。そこに行くと、妻は「私の名前も息子の名前と一緒に入れて欲しい」とずっと言っていました。2003年12月から、神戸市以外の方も、震災が原因でなくなられた方の名前も載せれるようになりました。
ご遺族の方から問い合わせがあった時に、どうやって、お気持ちをそこに表現していくかということを考えています。
■希望の灯りと分灯
震災のとき、暗くて厳しい状況の中で、生きる力を与えてくれたのが灯りでした。完成した2001年には、神戸からの感謝ということで、全国に持っていきました。
1.17のつどいをやりたい、この灯りで何かをつくりたいというご意見であれば、分灯をしています。団体、特に学校が多いですが、今の中学生はもう震災を知らない世代になっているので、分灯も語り継ぐための道具になっているのではないかと思っています。

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■ルミナリエに新しくできた語り部コーナー
私も、毎日、現場に詰めていました。私は、子どものことについて、震災当時の話、その後の活動(中越地震の現場に行った話など)をしました。語り部場コーナーは、若い人からの「震災のことを伝えていかなければいけない。語り部をやりませんか。」という依頼で始まりました。神戸芸術工科大の学生を中心に、神戸市立看護大、大阪音楽大、神戸海星大の学生たち。大阪音楽大の学生の演奏の合間に語り部をしました。語り部の人を集めるには苦労しましたが、今後も続いていくように努力していきたいです。10人の語り部がいれば、10通りの震災に対する思いや考え方があると思います。
■白木さんの震災に対する思い
「生き残った」とは思っていません。あくまでも「生かされている」ということです。いずれ、私も息子のところに行きます。その時、「おやじ、何やってきたんや?」と言われるのが一番辛いです。自分のできることで、少しでもお手伝いできればと思っています。活動の中で、「命の大切さ」、「生きている喜び」を感じています。生きていないと、自分のしたいことはできません。震災のときに、自分の思いの半ばでとまってしまっている人がたくさんいます。生きている人たちが、その人たちの思いや目標をつないでいって欲しいです。生きている間は、いろんなことができる。大切にして欲しいです。
世の中で自殺、殺人、いろんなことが起こっています。でも、本来あってはいけないことです。震災、災害について語っていただける時間をたくさん作っていってもらいたいです。必要とする人がいれば、必要とされる人がいます。1人じゃないです。
■1.17のつどい
HANDSの他には、神戸市民交流会や和歌山から来るグループも参加しています。外国の方も炊き出しなどを提供しています。後片付けもふくめて、たくさんの人が参加しています。作業をすることで、交流をはかっていきます。最近は、若い人がたくさん入ってきてくれています。もっと入ってきて欲しいです。
竹筒も、兵庫県下の社会福祉協議会に協力を得て、竹を頂いています。つどいのあとは、竹墨に変えて、竹墨も販売して、運営の資金にまわしています。
■白木さんにとって、この16年
「長かった」とは言うものの、実際にはとても短かったです。1月17日には、フラッシュバックのように、瞬間的に当時の状況に戻っていきます。活動をすることは、両肩にかかっている私の宿命です。みなさんと活動をすることで、ゼロにならなくても、軽くなっていきます。これからも頑張っていきたいです。
