2011年02月15日

2月神戸の定住外国人としての老華僑たちの震災体験、南京町商店街組合理事長老祥記の三代目曹英生さん

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2011年2月の大震災を語り継ぐ ゲストは南京町商店街振興組合理事長曹英生さん


■春節祭間近に被災
組合には、95店舗が加入していました。震災前日は連休で、たくさんのお客さんが来られていました。それが、震災で町の中はぐちゃぐちゃに、全く違う光景になってしまいました。「春節祭も近づいている。何かせなアカン。」あの年は、1月31日が旧暦の1月1日でした。17日は、ちょうどその2週間前。17日に許可書類の関係が完了するはずで「さあ、今からやろうぜ」という日でした。そこで、緊急総会を開きました。多くの人が参加してくれ、祭は中止と決めました。まずは、店主や従業員の安否確認をしました。幸い、大きなケガ、死亡者はいませんでした。

■春節祭の日に炊き出し
食べるものはあったが、冷たいものしかありませんでした。「神戸は食のまち、熱いものを提供したい」「少しでも幸せな気持ちになってもらいたい」ということで、炊き出しをすることになりました。春節が近づいていたので、プロパンを用意していた店が多く、それを使って、炊き出しができました。

■「老祥記」のお店は? まわりのお店は?
商売できる状態ではありませんでした。老祥記は、プロパンが使えることが確認できた2月1日から開店しました。その時は、販売するのではなく、10個ずつ包んで無料で持って帰っていただきました。その代わりに義援金箱を置きました。その日は7000個作りました。(普段は、1万個くらい作っています。)あの時は、物流は結構ありました。問屋のストックもありました。お客さんが来ないので、ミンチも冷蔵庫にたっぷりありました。小麦粉も結構ありました。
2月3日からは、普通の販売に切り替えました。早い店では、震災の翌日から、「腐ってしまうので」と肉をホットプレートで焼いて販売していました。華僑の前向きさや強さを感じました。それを見た日本人の魚屋さんも「うちは炭があるから」と肉屋に刺激を受けていました。

■仲間の大切さ
区画整理が終わってからちょうど10年ほどで震災にあいました。建物は比較的頑丈でした。組合員の方は、みなさんのためになることをまず考えました。次に自分達のことを考えました。「人をこの町に戻したい」という気持ちでした。
今考えると恥ずかしいけど、地震から2、3日後に「神戸で頑張るより、大阪に行ったほうがいいのではないか」と一瞬考えたことがありました。でも、臨時総会で、みんなの意気込みを感じて、神戸で立ち上げなあかんと思いました。一人で考えると後ろ向きになってしまうことでもみんなでいろんな話をすることで、前向きな気持ちをもらいました。

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■「動」のまちづくり
老祥記は、おじいちゃんの代からです。高校生の頃から手伝うようになりました。昔は、外人バーがたくさんあって、昼からお酒を召し上がってハイテンンションな人がたくさんいらっしゃいました。昔と比べるとお客さんも増えて、ずいぶん賑やかになりました。
区画整理をして、観光地としての位置づけが、しっかりできました。どんどんお客さんが増えてきました。年がら年中お祭のような町です。いつも動いているのは嬉しいです。

■自宅は?
中央区のマンション11階で、立っているものは、全て倒れました。「ダイ・ハード」という映画のようにガラスが床にまんべんなく散らばっていました。ケガをして、血がべったり足の裏についていたのに気付いたのは、1週間後、風呂に入ったときでした。
一時的に、自宅前の中学校に避難していました。初日は余震がひどく、眠れませんでした。新華僑(近年20年くらいに来た華僑)も老華僑(3代目、4代目にあたる人)も老若男女みな避難しました。中華同文にも、華僑だけでなく日本人もたくさん避難していました。

■早々に避難所を引き上げて
ライフラインが全てで、商売どころではありませんでした。当時は、副理事長で、理事長と同じ避難所にいました。南京町は夜になると暗いので、パトロールを兼ねて住み移りました。自分の店で、親戚など17人が共同生活をしていました。

■ガスが通った!
3月中旬、ガスが開通する記念に、復活祭をしました。はじめて獅子舞を出しました。神戸まつりが中止になったので、南京町で何かしないかというファックスがきました。そこで、元町商店街と一緒に、「こうべ5月まつり」をしました。大雨でしたが、アーケードの中でしたので、いつもの神戸まつりのようにマーチング、バトン、サンバも手弁当で来てくれました。日本人は「こんな時ににぎやかにしていいのかな」と自粛します。華僑が突破口になったかもしれないです。いろんな考えが混じってよかったのかもしれないです。
震災の時は、不思議と、信号がなくても譲り合う精神がありました。これが本来のマナーなんだろうなと思います。注意力も増していました。人間が持っている本能がよみがえったのがあの時期だったように思います。

■未来へのメッセージ
まずは考えるより体を動かすことです。外に出て、観察して、人と話をする、一歩一歩の積み重ねが大事です。私達にとっては、炊き出しがまず1歩でした。お客さんへの顔、組合員に対しての顔が一致していないといけません。みなさんが幸せになって楽しくなるようなことを考えて実行しくことが大切です。一番大事なのは、行動力とお金です。中国人は、お金は幸せになる一つの手段だと思っています。お金をためるのではなく、有効的に使ってまちに人を呼び込む仕掛けを作るかということが大切です。
春節祭のほかにも、南京町には、3月から4月のはじめに「交流春風祭」があります。これは、春の神戸観光の一つの仕掛けです。中秋の時には、「中秋祭」をします。

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posted by FMYY at 16:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ポッドキャスティング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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