
2011年4月のゲストは神戸市職員觜本郁(はしもとかおる)さんです。
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■地震があった16年前、お勤めは?
当時は、西区役所に勤めていました。震災当初から避難所のお世話をしていました。業務として、家屋の被災調査、避難所の当番、仮設住宅まわりなど、いろんなことをした記憶があります。日常の業務では、被災者の方の相談を聞くというのも相当なものであったと記憶しています。
前年まで、灘区の福祉事務所に勤め、生活保護の仕事をしていました。お世話をした方が、どうなっているかとても心配でした。公務の合間をぬって、自転車に乗って、灘まで見に行きました。
■灘区の福祉事務所に行って・・・
事務所にはほとんど誰もいませんでした。担当の遺体安置所にいる、とのことでした。灘区の遺体安置所であった王子スポーツセンターに行きました。以前、自分が担当をした5人の方のお名前もそこにはありました。
■深夜にたずねて来られた一人の女性
父親が安置されていると聞いてやって来られた方でした。お父様のご遺体はとても傷んでいました。
一緒にいて、話をお聞きしました。どんな事情があったかは分かりませんが、お父さんとは離れて暮らしておられたようでした。ご遺体は、翌朝には親戚が来て、田舎へ帰るということでした。ここが最後だと思って深夜に駆けつけてこられたそうです。何年ぶりかの再会がこのような形でつらかったと思います。
数本の線香を持って来られていましたが、線香を立てるものもありませんでした。近くでご遺体に付き添っておられた方が、「これに突き刺すといいよ」とみかんを持ってきてくれ、お父さんを弔いました。こうして一緒に弔ってくれる人がいて、嬉しかったと涙を流して帰られました。その姿が忘れられません。一緒にいるというのが支えになるという一つの経験でした。
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■「お役所仕事」の歯がゆさ
斎場が足りず、他都市の斎場を借りることになり、明日の朝までに30体を選ばなければならなくなりました。「必ず埋葬許可があるもの」という条件がありました。ご遺族に「どうされますか?」と聞いてまわりました。
奥様を亡くされたご高齢の男性にもお聞きしました。この方は、埋葬許可を持っておられませんでした。埋葬許可をとるためには、王子スポーツセンターから、神戸大医学部まで行って遺体検案書をもらい、灘区役所で届けを出さなければなりませんでした。
「埋葬許可がない人をリストに入れるわけにはいかない。指示に従ってもらわないと困る」と仲間とも喧嘩になりました。
一人の若い職員にバイクで行ってもらうようにお願いしました。夜が明ける頃に埋葬許可が届き、ご遺体を斎場へ行くことができました。
200体を超える遺体を前にして、仕事をしてきたつもりでしたが、そうではなかったことを知りました。妥協せずに、おかしいことはおかしいと言っていくことが必要だと思いました。ご遺族の前で「何でも言ってください、何でもさせてもらいます」と言いました。その言葉には根拠や背景があるので、それを理解せずに、「できません」ということはよくないと思いました。
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■「神戸の冬を支える会」での活動
冬という名前が付いていますが、年中活動しています。震災直後、ホームレスの方が震災の被災者として取り扱われず、支援から排除されるのはおかしいのではないかということで団体ができました。95年の秋から冬にかけてできた団体です。
外国人支援のグループが震災直後に立ち上がり、その会議に出席した際に、「誰かホームレス支援や生活保護、福祉に詳しい人はいないか?」と尋ねられました。少しは知っていたので、私が手を挙げました。その後、支援活動に関わるようになりました。
■生まれながらにしてのホームレスはいない
みんな生まれ故郷があって、思い出があって、夢を持って生きてきた人です。でも、なんらかの理由があって家を失い、公園や駅で寝泊りせざるをえなくなっている、そんな人たちです。好きでやっているわけではありません。誤解されている部分が多いと思います。
■ホームレスの変化
今年は、200〜250食を用意しました。2000年前後は500食以上、用意したこともあります。近年、公園で寝ている方は減ってきました。一時期は500人を超えていましたが、去年の調査では、140人でした。減っているようにも見えますが、喜べないこともあります。「ネットカフェ難民」という言葉もあるように、安定した家のない人がいます。形が変わり、見えにくくなっているという面もあります。
■若者がホームレスを襲う事件
行動的に深い根があると思います。社会が、少年たちに、「ホームレスは、役に立たない人だ」というメッセージを送ってしまっているのではないかと思います。
震災のときも「救援物資を分けてもらえない」「避難所から出て行け」言われるという事実がありました。みんな理由は違うにしろ、家を失った者同士です。支援策から排除することはおかしいと思い、ホームレスの支援活動が始まりました。
多くのホームレスは、今まで社会を支えてこられた方です。不況になって収入がなくなって、そういう目に遭っている、というところまで想いが至らないというところに問題があると思います。排除しても何も変わりません。
■最後に…
東日本大震災に対しても、やることはたくさんあると思います。ぜひ頑張ってもらいたいです。阪神淡路大震災のときの教訓や反省を、心の隅に置いておいてもらえたら嬉しいです。