2011年8月のゲスト 高橋守雄さん
神戸駅降りてすぐのロケーションにある「ひょうごボランタリープラザ」
そこでの様々な活動をお話いただきました。
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■「ひょうごボランタリープラザ」とは?
阪神淡路大震災のボランティア支援を教訓に、平成14年に中央区(神戸駅前、クリスタルタワー6階)につくられました。ボランティアグループやNPOの支援拠点、災害時のボランティア派遣の拠点として活動しています。過去には、但馬や洲本、佐用町の水害の兵庫県のボランティアの活動拠点になりました。兵庫県には、約4000〜5000のボランティアグループがあり、それらのグループに対して、資金面の協力や援助、ボランティアの養成講座なども行っています。市や町のボランティアセンターのボランティアコーディネーターの養成講座や勉強会の実施、人件費補助などの援助もボランティアプラザの大きな仕事です。
■東日本大震災が発生
震災から1週間後の3月18日、井戸知事を先頭に兵庫県の先遣隊として医療やボランティアなど様々な分野の人間が現地に入りました。阪神淡路の時とは被害も違いますので、早期のボランティアの活動の方法を考えました。
■阪神・淡路大震災当時、高橋さんは・・・
県庁の広報課で、プレス対応などにあたっていました。被災地ではなかなかテレビなどを見る機会がないので、臨時FMラジオ局フェニックスを立ち上げました。県庁も非常電源が使えず、水道、電気、テレビは不通でした。私も昔、警察官をしていて、「自分のことより、県民、市民のために、命や財産を守るのが使命だ」と思っていますので、這ってでも行かなければと思い、県庁へ向いました。第一回の災害対策会議から参加していました。県警本部もつぶれていました。震災当日、県庁の情報源は携帯ラジオ一つだけでした。
■スタッフの危機管理、活動に集中できた
7月、福島へボランティアバスを出しました。原発から数十kmの海岸で、活動することになりました。原発のことが気になり、初めてスタッフ全員に携帯ラジオを持たせました。その時に大きな余震があり、東北沿岸に津波警報が出ました。彼らは、いち早くラジオで情報を知ることができ、ボランティアを一時、高台に避難させることができました。スタッフがラジオを聴いていたことで、ボランティアからも「活動に集中できた」という声を聞くことができました。
お相手はいつものように西條遊児さんです。
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■ボランティアの前さばき
ゴールデンウィークの連休を前に、ボランティアが高速道路に集中するということを考えました。被災県の行政は混乱しているので、ボランティアの前さばきをするセンターがいるということを考え、知事に進言しました。阪神淡路大震災の時にも、大阪に似たような拠点があり、そこから被災地に入っていただいた経験がありますので、今回はわれわれがその役割を果たそうと思いました。まず兵庫県がやれば、他府県も一緒に考えてくれるのではないかと思ってはじめました。
泉パーキングエリアの空き地に、昔、料金所であった大きな建物があります。そこは、7、8年前に廃止になりました。提供して欲しいと東日本道路会社に頼みました。厳しい条件がたくさんありましたが、ボランティアの必要性が世間から言われはじめ、東日本道路会社も積極的にやっていただきました。4月20日から5月15日まで活動していました。
■インフォメーションセンターでは
現地のボランティアのニーズをお伝えしたり、行く先を決めて来られなかった方へ最新の情報(交通情報、宿泊情報など)を発信したりしていました。朝7時から夜6時まで、現地のボランティアスタッフなどもあわせて20人くらいが在中し、ボランティアの前さばきをしました。
■ボランティアの変化
連休が終わってボランティアの数は、少し減りました。夏休みに入り、若いボランティアが増えてきていますが、7月末で、70万人くらい、阪神淡路の半分程度です。兵庫県は、日本の真ん中あたりなので、来やすいということがありました。東北はやはり遠いです。飛行機や新幹線など交通のボランティア割引を導入してほしいと言っているのですが、なかなか実現しません。私どもでは、ボランティアの足を確保しようと、バスを走らせています。兵庫県で7月までで70台くらい出しました。バスの中で寝るので、40人定員のバスでも20人ほどしか乗車できません。
■県外避難者の里帰り
7月に福島へ、8月に宮城へ里帰りバスを出しました。「一度帰ってみたい」「こちらでの生活が安定してきたので、ボランティアをしてお返ししたい」という思いからです。多くの反響がありました。これからも継続的にやっていきたいなと思います。
■学生のボランティア
私どもで、この夏、約40台ボランティアバスを出しています。民間団体が出しているバスを合わせると全国でも突出して多いです。兵庫県は舞子高校で有名ですけれども、彼らのいい影響を受け、他の学校も行きたいという声があがっています。4日間行くだけでバス1台、約40万円かかります。若い学生たちの熱意を打ち消すことはあってはならないし、助けてやりたいという思いもあります。高校から依頼を受け、現地との連絡などをお手伝いすることもあります。校長会でも発表されて、競うようにボランティアに行きたいという声があがっています。人数が少ない学校は、数校で集まって一緒に行きましょうという声かけもあります。他の行政機関は、経費面もあり、辞めていっています。阪神淡路の恩返しだということで、県民に理解が得られることだということで、思い切った経費も積んでくれます。若いボランティアが行きやすい条件を整えていきたいと思っています。
■息の根の長い支援を
避難所から仮設へ入れば、夏なら日よけのすだれをつくりに行ったり、植栽をしたり、虫除けに行ったり、話相手になったり、冬になると雪よけをしたり息の長い支援が必要です。兵庫県や神戸市は、他府県が辞めても、やらなきゃならない、教訓や役割があると思います。
■兵庫から、神戸から
阪神淡路を経験しているのは全然違うと思います。「神戸から」と言うと、地元の方は、安心してさまざまな相談をされます。その時その時にニーズは違いますが気持ちは同じです。阪神淡路の時は、この時期になるともうほとんど分かっていましたが、東北の場合は、行方不明の方は「まだ生きているんだ」という気持ちがあります。まだお子さんを捜し、海岸へ行っておられる親御さんがたくさんおられます。
■もしものときの心構え
災害は、本当にいつ来るか分かりません。遠くにいてもできる支援はなにか考えていたいと思います。いつも、近くにいる仲間やネットワークを大切にしながら毎日を生きていたいと思います。情報はとても大切です。ラジオは携帯のように持っておられたら良いと思います。