7月のゲスト 神戸市産業振興局参事 三谷陽造さん
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
■阪神淡路大震災当時は?
神戸市の経済局工業振興課にいました。造船、ケミカル、鉄工所など現場を歩いて涙を流しました。工場がなくされ、従業員の方も自宅をなくされて、長田に居ることができないという状況の中で、なんとか長田に戻ってきていただいて、ここで仕事をしていただくために、何ができるかということで動いていました。まずは、働く場所の確保のために動きました。
■仮設の工場を建てる
仮設の工場の用地をどこにもってくるか考えたときに、仮設とは言え工場ですので、音、においなどトラブルが出ないようにしなければならないという配慮も必要でした。住居が禁止されている工業専用地域か山の中ということで探しました。結果としては、工業専用地域にまで仮設が来ていましたので、少し離れたところに建てました。第一期の長田の人には、4月1日に鍵渡しができました。本当はもっと早ければ、もっと良かったとは思います。仮設の工場はもちろん足りませんでした。第一期の抽選は、倍率が15倍くらいありました。抽選を公正にするために、警察官立会いのもと、公開で行いました。当たった人は涙を流して喜んでくださいました。
■地域ぐるみで分業されていた長田のケミカル
次は兵庫に工場を建てました。今までずっとやってきた土地に愛着があるのは分かっていたのですけれども、長田には土地がありませんでした。ケミカルは本当に見事な業界で、長田という地域、地域ぐるみで分業ができています。内職、裁断、ミシン、材料…いろんな方が自分の役割でもって地域におられます。どれ一つ欠けても成り立たないのです。西神や兵庫へ行ってしまうと、非常に不便だということはありましたね。
■成果は…
実は、いまだに感じていません。商売は、景気の波に左右されます。景気がよければ、仮設工場、貸し工場、自分の工場とステップを踏んでいけたと思います。平成7年は「失われた10年」の真っ只中でした。そのあと、リーマンショックがありましたね。中国のウエイトが高くなると、靴の業界も中国抜きでは語れなくなりました。完全に戻ったということは言えないと思います。ただし、業界も行政もやれることはしっかりやりました。復興はしたのだと思います。商売が景気に左右されることから、神戸はあまりにタイミングが悪すぎたということだと思います。
■新しくなったまち
新長田駅の北あたりは、まだ空き地もありますね。まちはきれいになりましたが、以前のような活気がないといけないと思いますね。
聞き手はいつものように西條遊児さんです
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
■岩手の被災地へ入って
いままでに、岩手県を中心にのべ2週間ほど行きました。東日本大震災があって、いろんな方から意見を聞かれたのですが、現場を見ていないので言えませんでした。
個々の集落の面積は神戸とあまり変わらないか、現地のほうが少し広いくらいです。ただ、根こそぎもっていかれているので、残っているものがありません。人も、家財も、船も、網も、何も残っていません。被害の規模は、とんでもない額になることは、容易に想像がつきました。
■どう考え、進めていくか
岩手は漁業、そして漁師さんがとってきたものを加工して商品にして全国に流すという一つの流れがあります。様々な加工をすることによって、商品に価値を生み出しています。一括りになって岩手を構成してきたのです。今は、それが全てなくなっています。われわれが行って何ができるか、というよりも、どのように物事を考え、進めていくか、ということを伝えるために自分は現地にお手伝いに行っていると思っています。岩手では、漁協の方や市町村役場の方、加工業の方などとお会いしています。
■9月に始まる鮭の漁に向けて
漁協の方でしたら、港の復興、船の確保などのお話をしますね。鮭を秋味とも言うように、鮭の漁は9月に始まります。それまでにこの状況を何とかしなければ、彼らは食べていけないわけです。お金の問題もあります。船がないと漁はできません。石巻だと、港が下がって水がくるので、港も整備しなければなりません。本当は全て一時にできるのが一番望ましいです。しかしそれはできないのです。一番急ぐものは何か、応急的処置を講じなければなりません。残った船でスケトウダラなどをとっています。しかし、加工工場も、製氷機も使えないため、飼料として使っています。
■生活再建
船がなくなってしまったので「やめたい」という人は各港に何人かはおられるようです。でも、ほとんどの方は「やりたい」と言っておられます。長田のときに、ケミカルや鉄工所の人が「やめたい」と言った人が少なかったのと同じような状況かもしれません。
日銭の稼ぎ方としては、緊急雇用の制度を使う方法があります。畑の瓦礫を取り除くように、港の瓦礫を取り除くということは各港でやっています。でも、漁師さんの本分は漁をすることなので、そこにもっていかないといけませんね。残った船はフル稼働の状態です。ある港では、9月の漁にそなえて、漁師さん全員で定置網を繕って準備していました。
生活再建と言っても、避難所から仮設住宅へというように住むところを確保したとしても、家族4人で月々15万いるとなったときに、その15万をどうするの?っていう話ですからね。そこが生活再建の大きな部分だと思います。
■知恵を総動員して大胆な政策を
経済上の話ですと、阪神淡路大震災の時と同じような話がよくあります。あのときの経験を踏まえて、国も県も市町村も、神戸がやったことよりも、もっと大胆な発想で住民を支援してほしいなと思います。こんなに大きな災害となると、これが前例になると思います。次のときに前例がないではいけないと思います。人が動かないと元には戻らないと思います。
東南海・南海地震といわれてもなかなか実感がありませんよね。言い伝えだけではなかなか想像し難い部分もあると思います。現地に行くと、20mの津波が来たというのは、感じることができます。実感することは大切です。現地にお金を落とすことも大切です。東北地方と言っても、全てが潰れているわけではありませんので、現地でどんどんお金を使っていただくことで、潤うと思います。