9月のゲスト 小森星児さん
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
■阪神・淡路大震災のとき
東灘のJRと阪急の間の地域、つぶれたのは私の住んでいたマンションだけという地域にいました。地理学者でありながら、恥ずかしいことに、「神戸でこれだけ揺れるなら、東京は海の底だろう」と思いました。歴史的に言うと、神戸の震災の記録は少ないです。地質的に言うと、起こる場所であったことは確かですが、切実感がなかったです。
■さまざまなボランティア活動
自分の家が、なくなったので、マンションの再建組合の組長に押されて、皆さんを引っ張っていかなければなりませんでした。
当時、姫路短期大学の学長もしていました。学生を連れ、避難所や仮設住宅でお世話をする仕事もありました。
加えて、住宅政策が専門なので、「いかに安全な住宅を作るか」ということは職業上でも大切な問題であり、個々のご相談にも応じてきました。
■反省から学問は進歩する
専門家として当然やるべきことだと思います。自分自身の勉強にもなります。まさか「次に大震災が待っている」とは思ってもいなかったので、その場限りのものかもしれませんが、長い間お世話になった兵庫、神戸で力を貸すのは当然だと思っていました。
同じ課題を抱えて、支援活動に参加されています。一緒に活動をすることは、励ましにもなりました。
「自分たちの考え方が間違っていた」、「もっといい提案ができたのではないか」という反省に立って、学問は進歩するものだと思います。
■神戸復興塾での取り組み
専門家の参加の仕方にはいくつもあると思います。一つは、政府や行政のブレーンとなって、復興をお手伝いするという方法があります。もう一つは、現場に入って、現場の苦労を自分の問題として捉え、それについて助言したり、新しい試みを紹介するという方法があります。仕事上、私は、両方にまたがっていました。実際に現場で、犠牲になった方や被害を受けられた方々から、知恵やエネルギーを得たことはありがたいことであったと思っています。
■神戸アイウォーク
アイウォークは、募金イベントとして始めました。メンバーが、アメリカでエイズウォークに参加したのがヒントになりました。震災のあと、多くの民間団体ができましたが、多かれ少なかれ資金不足で困っていました。寄付を集める方法の一つとして、被災地の現場を歩いていただくのが良いのではないかということで始まりました。
アメリカの場合は、10kmほどの間、交差点が全くありません。神戸の場合、鷹取から三宮まで歩くと、70数箇所も交差点があり、誘導員を置かなければなりません。明石での花火の事故もあり、中学生に誘導をお願いするということについても責任が重すぎる、とはばかられるようになりました。アイウォークは、残念ながら3年で打ち切らざるをえませんでした。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
■東日本大震災の現場で
5月の末に4〜5日間、宮城県の三陸海岸に行きました。また、7月には1週間ほど、岩手県盛岡をベースに、被災地へ通ったり、被災者支援組織の立ち上げに協力するために行きました。
■方向が定まらない
神戸の場合、目標ははっきりしていました。「復旧は、国が責任を持ってやる。復興は、地元が中心になってやる。」やるべきことも明確で、民間で期待される役割についても、提案してやっていくことができました。
東北の場合は、地域も広く、単なる普及では間に合わないということは明らかです。心が痛む話ですが、災害がなくても、10年、20年後には厳しい状況に置かれる。災害はそれを加速させました。単なる復旧で、元に戻っても意味がなく、何か新しいものを見つけなければならないのですが、いまだに方向が定まっていません。
■3.11被災者支援の会
1つは、被災地へ行って支援をする、神戸の経験を現地で洗い直し、使えるものを準備するという活動です。
もう1つは、避難してこられた方を支援するという、神戸でできる活動です。現在でもいくつもの活動が地道ですが、続いています。いつになったら帰れるかという見通しが立ちにくい状況です。
特に福島の場合は、いつ帰れるか分からないという事情の上に、働き手は福島に残り、お年寄りや子どもたちがこちらに来ているなど、さまざまな形態での避難があります。「神戸で新しい仕事をしませんか」という提案をしても、なかなか反応がありません。
これからの支援のあり方についても難しいところです。
■支援の会は、ボランティアのフリーマーケット
集まってこられた方には、黒板に仕分けして、発表や報告したいことを書いていただきます。現地での支援、神戸での支援、子どもの教育の支援、集まってくる方も多彩です。ボランティアは、年齢不問です。社会人もいれば、引退された方も、行政やマスコミ関係の方もいます。いろんな立場から助言をしたり、自身の経験を語ることで、活動の幅が広がることを期待しています。
■避難して来られた方への支援
行政の受け入れ体勢も十分でなかったので、こちらへ避難してきた方が困っていました。できるだけ神戸、阪神に避難してこられた方を、十分に受け入れたいと思いました。
「なぜこちらに避難して来られたのですか?」と伺うと、「この地域は、阪神大震災の経験があるから、私達の立場も理解してもらえると思った」とおっしゃる方もいます。
■自分事として考える
私たちが、東日本の被災地を支援するのは、困っているからいくというだけではありません。日本のような災害大国では、いつ次の大災害が来るか分かりません。今、ここで学ぶことは、決して他人のためだけではないのです。我々や次の世代のために役に立ちます。そのようなことを十分考えて、参加することは大切だと思います。
例えば、津波に備えて高台に家を建てるというのは、東北だけの問題ではありません。和歌山でも、高知でも、兵庫でも同じ問題を抱えているのです。現地で学ぶということは、同時に、今の我々のために活かすことでもあります。のんびりしている場合ではないということを若い人たちに伝えたいです。