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<title>大震災を語り継ぐ -神戸からの発信 未来に生きる子どもたちのために-</title>
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<description>神戸長田のコミュニティ放送局「FMわいわい」が毎週日曜日午後17:00から放送。</description>
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<title>3月神戸での震災の経験の中で、情報発信と復興ために力となる仕事つくり</title>
<description>ゲスト：山口一史さん　NPO法人ひょうご・まち・くらし研究所常任理事1203_yamaguchi1.mp3■社屋が崩壊、新聞発行も危ぶまれた神戸新聞では、長い間、経済記者をしていました。阪神・淡路大震災の時も神戸新聞にいました。社屋がつぶれてしまい、新聞が発行できるかどうかの瀬戸際でした。京都新聞と業務協定を結んでいたおかげで、新聞を届けることができました。まさか神戸新聞が助けてもらうことになるなんて、夢にも思わなかったです。■ひょうごまち・くらし研究所2003年にでき、20..</description>
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<a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1203_yamaguchi.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1203_yamaguchi-thumbnail2.JPG" width="150" height="112" border="0" align="" alt="1203_yamaguchi.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1203_yamaguchi-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />ゲスト：山口一史さん　NPO法人ひょうご・まち・くらし研究所常任理事<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=343a9a9aeaef2944ae6e36b836a93a7d&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1203_yamaguchi1.mp3"></audio></div><br />■社屋が崩壊、新聞発行も危ぶまれた<br />神戸新聞では、長い間、経済記者をしていました。阪神・淡路大震災の時も神戸新聞にいました。社屋がつぶれてしまい、新聞が発行できるかどうかの瀬戸際でした。京都新聞と業務協定を結んでいたおかげで、新聞を届けることができました。まさか神戸新聞が助けてもらうことになるなんて、夢にも思わなかったです。<br /><br />■ひょうごまち・くらし研究所<br />2003年にでき、2004年1月にNPO法人として認証を受けた団体です。<br />「大きな災害のときに人々のくらしをどう復興していくか？」というテーマをもとに活動をしています。「災害で人々がどう乗り越えてきたか」を分析して、次の災害の時に提案をしていきます。また、障害者の作業所の運営についても支援をしています。<br /><br />■まちづくりへの関心<br />もともと私は、“村おこし”や“まちおこし”など地域全体で協力をして何かをつくっていくことに興味がありました。震災があり、“まちづくり”への関心になりました。社会の声も、震災を機に大きくなったと思います。<br />阪神・淡路大震災の時、全国からたくさんのボランティアが来ました。メディアの人間として、彼らと接していて、「なんで給料もほとんどないのに、この人たちはニコニコしているんだろう？」と羨ましく思っていました。<br /><br />■便利さに依存しすぎている<br />阪神・淡路大震災の時、神戸新聞も生活情報をたくさん流しました。電話の状態も悪く、インターネットもないので、読者からの情報を裏もとらずに記事にしましたが、間違った情報は1つもありませんでした。17年が経ち、通信手段は便利になりました。しかし、それに頼りすぎている部分があるかもしれません。<br /><br />■石巻日日新聞<br />壁新聞を読んでいると、毎日の復興・復旧情報がとてもよく分かります。石巻日日新聞の壁新聞も、報道する側は「今伝えられることを伝えたい・知らせたい」と思い書きました。読者もこの思いを感じ、しっかり読んでいました。<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=352091fadfe7e3abcc46d4cd31a43ef8&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1203_yamaguchi2.mp3"></audio></div><br />■みんなが集まるきっかけづくり<br />引きこもりがちになる中高年の女性の方が集まってくるきっかけづくりとして、手芸品のキットをお送りしています。手芸は手も動かしますが、口も動かします。知らなかった人が仲良くなります。しじみ貝を加工したストラップや、かえるの形の袋にペレットを入れて、立ったり座ったり形を作れます。高齢者の方でも簡単に作れます。<br />障害者作業所の仕事づくりとして、新商品の企画をして、作れるようにしています。新商品「結ばなくてもいいふろしき」は、若い人は、蝶々結びが出来ない人が多いので、考えたものです。<br /><br />■“共感”で人があつまる<br />西宮の木馬の会の方々にもお手伝いをいただいていますが、材料のしじみ貝がなかなか集まらず苦労しました。東灘の<a href="http://hnw.or.jp/" target="_blank">助け合いネットワーク</a>にも協力をいただき、チラシを作りました。すると、偶然にも、島根県の宍道湖（しじみの産地）の近くに単身赴任しているご主人とつながることができました。神戸に戻る時には、島根からしじみの貝殻を担いで帰ってもらっています。「努力すれば応えていただけるのだ」と思いました。<br />店が全部流れてしまい、針や糸を調達するのは難しい状態です。お金があってもなかなか手に入らないものなので、こちらから送ると喜ばれます。<br /><br />■初めてのお給料日<br />宮城県の七ヶ浜では、商品をとりまとめているNPOが、わずかですが加工賃をお支払いしました。最初は遠慮されていたのですが、とても喜ばれました。自分の仕事に対してお給料をいただくことは、生きがいや社会とつながっていることの実感につながっているのではないかと思います。<br /><br />■これからも足しげく通いたい<br />お互いに人として話をする、信頼関係をつくる。その中で、仕事の話をしたり、悩みを聞かせていただくことが大切だと思っています。「神戸から来た」と言うと「きっとこの人たちも苦労したんやろう」と阿吽の中で分かっていただけることはたくさんあります。私たちも、伝えたいという強い気持ちがありますね。<br /><br />■“ひと”をみる<br />肩書きなどに惑わされず、普段から、ひとをみる目やこころを鍛えていくことが大切です。ネットワークをつくって、助け合えるように、日頃からアンテナを張って、いろんな人とお付き合いをしながら、得意技を貯金しておくことが大切だと思います。<a name="more"></a>

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<title>2月神戸での住宅再建の経験を、東日本で生かす！じっくり時間を掛けて自分たちのまちづくりを支援。</title>
<description>ゲスト：神戸まちづくり研究所　一級建築士　事務局長　野崎隆一さん0201_1_nozaki.mp3■ 神戸まちづくり研究所神戸復興塾（任意団体、1996年～）が前進で、2000年に神戸まちづくり研究所になりました。復興塾は、大学の先生、都市計画事務所の方、ジャーナリスト、病院の院長、商店街の商店主などで構成されていました。1998年サンフランシスコツアーを企画し、アメリカのNPOの視察を行い、NPOを立ち上げました。コミュニティに関わることをミッションにしています。■ 報告会..</description>
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<a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1202_nozaki3.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1202_nozaki3-thumbnail2.JPG" width="150" height="112" border="0" align="" alt="1202_nozaki3.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1202_nozaki3-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br />ゲスト：<a href="http://www.kobe-machiken.org/index.html" target="_blank">神戸まちづくり研究所</a>　一級建築士　事務局長　野崎隆一さん<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=e89e426157616c4fb3689a73215fb859&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/0201_1_nozaki.mp3"></audio></div><br />■ 神戸まちづくり研究所<br />神戸復興塾（任意団体、1996年～）が前進で、2000年に神戸まちづくり研究所になりました。復興塾は、大学の先生、都市計画事務所の方、ジャーナリスト、病院の院長、商店街の商店主などで構成されていました。<br />1998年サンフランシスコツアーを企画し、アメリカのNPOの視察を行い、NPOを立ち上げました。コミュニティに関わることをミッションにしています。<br /><br />■ 報告会やフォーラムでできた仲間<br />阪神・淡路大震災当時は、毎日のように2、3ヶ所で報告会やフォーラムがありました。何回も会う人ができ、仲間が形成されていきました。震災から1年、神戸の震災のことを考え続ける、外部へ伝え続けるために、復興塾ができました。<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=efcedcf370eb514bbbb1a24d0c2fd3d2&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/0201_2_nozaki.mp3"></audio></div><br />■ 白地の地域の応援<br />神戸の復興というと、新長田の区画整理、再開発の話などが思い浮かぶと思います。しかし、95％以上の地域は、そのような事業にかかっていません。自分たちで工夫して復興しなければならない白地の地域なのです。自分たちでやるとなると、金銭的な負担も大きくなります。<br />当時は、マンションの相談（補修か建て替えか）も多くありました。利権を一つにするための話し合いには苦労しました。こじれきってしまうと解すのは難しく、「当事者で歩み寄って和解へ」という動きが理想ですが、残念ながらそれはできませんでした。<br /><br />■ まちづくり協議会<br />地域の人がまとまって、復興、まちづくりを進めていくためには不可欠なしくみです。権利者の集まりなので、生々しい話もありましたね。<br /><br />■ あいウォーク<br />震災後3、４年で、基金や助成金がなくなり、自分たちで活動を支える仕組みづくりが必要でした。サンフランシスコのNPOで同じような活動を見て神戸でもやろうと思いました。1999年スタートしました。震災後、同じところを歩いて、「ここまで進んだ」「ここはまだまだや」と確認してもらいたいという思いもありました。<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=5d4dee1388a4b2323a3bab7d1ad38732&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/0202_nozaki.mp3"></audio></div><br />■ 東日本大震災から1週間後／松島町・東松島市<br />医者、看護師、鍼灸療法士などが多かったですが、ひょうごボランタリープラザのバスで東北に行きました。朝に連絡があって夕方のバスに乗りました。0泊3日でした。<br />昔、スマトラ沖地震の時にスリランカで見たのと同じような状況でした。<br /><br />■ 士業団体で相談会<br />権利書を流されてしまったり、権利者が亡くなっているのに登記を変えていない、というケースも多くありました。相談内容を聞いていると、東北の人って人がいいな、と思いました。行政説明会などにも行きましたが、「今はしょうがない」と落ち着かせるというところはありますね。<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=4e52fb688857522ad05dd4345cec1fff&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/0203_nozaki.mp3"></audio></div><br />■ 「いかに快適に過ごすか」を考える<br />仮設も12～13箇所まわりました。今回も神戸と同じように仮設は全て抽選で選ばれているので、地域もバラバラで入居されています。仮設は2年と言われていますが、2年以上住むことを覚悟して、その間どうやってここで快適に過ごすかを考えたほうが良いのです。<br />神戸では、仮設で仲良くなった人が、仮設が解消になった時に「離れたくない」と言い、一緒に暮らすケースもありました。紹介すると「想像もしなかった」と言われました。<br />東北の人は大きな家に住んでおられる方が多いですが、「（仮設までとは言わなくても）少しコンパクトな暮らし方も考えていったらどうですか？」というアドバイスもしました。<br /><br />■ ざくっとした復興計画<br />行政の復興計画が抽象的です。どう復興したらいいか、見えてきていません。国が制度を作っていますが、全部出揃っていないので、地元もどう決めていいか分からないという苛立ちはあります。これは行政も同じです。<br />神戸は幸い、元来、都市計画の強さ、区画整理のスキルがありました。しかし、今回の場合では市区町村は「県が決めてくれないと」、県は「国が決めてくれないと」と思っています。アドバイザーが間にいて「今やれるのはこういうこと」と示すことも大切になってきます。<br /><br />■ 復興は被災者が主役でないとアカン！<br />「自分たちがどうしたいのか」ということが実現していかないと、被災者に元気が出ません。自分は、被災者の話をじっくり聞き、まとめていくことで、被災者自身が気付いていきます。まずは、住民で協議できる場を作ることが大事です。一つ一つ前に進んでいるところを見ながら過ごしてもらいたいです。<a name="more"></a>

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<title>2012年1月 「高校生、災害と向き合う－舞子高等学校環境防災科の10年」を諏訪清二さんが語る！</title>
<description>今回のゲスト：舞子高校環境防災科科長の諏訪清二さん0101_suwa1.mp3■全国唯一の環境防災科環境防災科の授業は、3分の2が普通科目の勉強、3分の1が専門科目の勉強です。商業や農業と同じ枠組みです。いまだに、防災科としては全国唯一です。全国にこんな学科が広がってほしいのですが、「自分だけは大丈夫だ」「被害に遭わない」と思っていることが影響しているのかもしれません。防災が広がらないことと似ています。■環境防災科で学ぶこと生徒は、自然環境から災害のメカニズムも勉強します。災..</description>
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<dc:date>2011-12-28T15:09:21+09:00</dc:date>
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<a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/suwa_saijyo.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/suwa_saijyo-thumbnail2.JPG" width="150" height="112" border="0" align="" alt="suwa_saijyo.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/suwa_saijyo-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br />今回のゲスト：舞子高校環境防災科科長の諏訪清二さん<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=3861259eeaf314b790bb53cd0e6c37f0&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/0101_suwa1.mp3"></audio></div><br />■全国唯一の環境防災科<br />環境防災科の授業は、3分の2が普通科目の勉強、3分の1が専門科目の勉強です。商業や農業と同じ枠組みです。いまだに、防災科としては全国唯一です。全国にこんな学科が広がってほしいのですが、「自分だけは大丈夫だ」「被害に遭わない」と思っていることが影響しているのかもしれません。防災が広がらないことと似ています。<br /><br />■環境防災科で学ぶこと<br />生徒は、自然環境から災害のメカニズムも勉強します。災害は自然環境の中に台風や受け止める社会の弱さにも関係してくるので、社会のあり方についても考えます。ボランティアや社会福祉、耐震の大切さ、災害の法律や中長期支援についても勉強していきます。（行けるところであれば、）ボランティアにも行かしていただいて活動させてもらっています。<br /><br />■ボランティア<br />ボランティアは、「泥かきしてほしい」「家の中の片づけをしてほしい」というニーズに対して愚直にやるという気持ちが大事だと思っています。「単位をとるためにボランティアに行く」というのは、きっかけとしてはあってもいいと思いますが、気持ちとしてはだめです。<br />ボランティア活動をしていると、現地の人からいろんな話を聞かせてもらいます。当たり前のことをやっているのに、ものすごく感謝され、人の優しさに触れることもあります。被災された地域のお年寄りの寂しさを感じることもあります。<br />いろんなことを考え、「次の勉強に活かさなければ」という気持ちになるという意味では、変わってくれている人が多いです。<br /><br />■勉強の材料は防災に関わってきた方の体験や教訓<br />環境防災科は、現場主義です。（防災科の生徒が、しっかり発表できるのは、）機会があるからです。体験を伝えたいという大きな気持ちがあるから話せるのですが、生徒は慣れて話しています。どんな若い子も、体験をして語る場があれば、きっと語れると思います。今の日本の学校はそのような場を奪っています。<br />防災は、学校設定科目です。文部省の学習指導要領には載っていません。学校独自でプリントを作ったり、パンフレットや新聞、本の切抜きを教材化することで授業をします。10年間、予習前提の授業はして来なかったです。<br />残念なことに、災害がたくさん起きているので、防災科である以上、災害と向きあうことになります。災害に関わってきたNPOや行政や専門の人などいろんな話を聞き、災害と向き合うことを学びます。勉強の材料は、常に社会や災害の最先端の人たちの体験や教訓です。<br /><br />■市民のリーダーを目指して<br />生徒の進路は、大学進学が7割、公務員就職が2割です。すでに30人くらいが消防に入っています。<br />消防学校で1泊2日の体験学習もしています。阪神・淡路大震災の体験をもつ消防士の「なぜ防災を広めたいか」という、本気の気持ちに出会え、モチベーションをあげることができます。<br />進学では、総合政策や人間科学など学際的に学べる学部に進む子もいます。教育、外国語、国際関係、法律、心理などに進む生徒もおり、さまざまです。<br />核としては、「自分の身を守るためにどう備えるか」「直後には人々をどう支援していくか」を勉強しますが、広い意味で言えば、社会に生きていることそのものが、どこかで防災とつながっています。<br />「幼稚園の先生になって、幼稚園で防災教育をしたい」「外国語の学部に行って、途上国で防災を教えたい」など、広いつながりを持ってくれています。専門家を目指すより、市民のリーダーになって欲しいと言っています。<br /><br /><a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/suwaEFBC91.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/suwaEFBC91-thumbnail2.JPG" width="150" height="112" border="0" align="" alt="suwa１.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/suwaEFBC91-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=b6418ae41ca502cfc894630c1136e658&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/0101_suwa2.mp3"></audio></div><br />■「高校生、災害と向き合う」<br />5月に生徒と一緒に東松島市へボランティアに行きました。自分の中にもいろんな思いや課題があり、本にまとめました。<br /><br />■夜のミーティングの意味<br />ボランティア活動が終わると、夜にはミーティングをします。<br />1つは、うまくいったこと、いかなかったことを出し合って、翌日より良い活動をしようという意味です。<br />もう1つは、あれだけの被災地に入ると、子どももへこみます。見渡す限りがれきの前に立つと、自分はちっぽけだと思います。共有することで、「みんな同じ思いなんだ、自分だけじゃない」という安心感を持つことができます。「ちっぽけだけど、ちっぽけが集まれば仕事になるんじゃないか」と、気持ちを楽にすることができます。<br /><br />■「明日はもっと頑張りたい」<br />夜のミーティングで、生徒が言いました。「今日も頑張ったけど、明日も頑張る」という、純粋な気持ちだったのだろうと思います。<br />「被災程度のひどいところに行くから頑張りたい」と言う言い方をボランティアはよくします。被災程度の重さではなく、被災者はみんな「自分のことも見て欲しい、助けてほしい」と思っています。酷いところ、目立つところに行きたがるのは、ボランティアの悪いところです。<br />生徒には、「『大変な場所なので頑張りたい』という言い方はやめなさい。明日100％にするなら、今日は50％なのか？　今日の被災者は予行演習なのか？」と言いました。<br />善意でやっていることの中に、被災者を傷つけていることはよくあります。そういうことに気づいて欲しいのです。<br /><br />■骨折した生徒、腰痛の生徒、じん帯を伸ばした生徒も･･･<br />私は、役に立つと思って、動けない生徒も現地へ連れて行きました。寝泊りしたのが松島町の廃校になった小学校の体育館でした。その小学校の教室に30人が避難していました。<br />動けない生徒は学校に残り、朝から晩まで、避難しているおじいちゃんおばあちゃんの話を聞いたり、子どもと遊んだりしていました。ただ黙ってそばにいて、話を聞くことも、立派なボランティアです。生徒たちはいろんな話を聞いてきていました。<br /><br /><a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/51DUhOyBBmL._SL500_AA300_.jpg" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/51DUhOyBBmL._SL500_AA300_-thumbnail2.jpg" width="150" height="150" border="0" align="" alt="51DUhOyBBmL._SL500_AA300_.jpg" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/51DUhOyBBmL._SL500_AA300_-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=bde0585fd8dec397792c9c074f9843ec&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/0101_suwa3.mp3"></audio></div><br />■「神戸」ということに独特の感覚を持ってくださっている<br />体育館を借りることができたのは、松島町の副町長さんが手配をしてくれたからでした。よく聞くと、阪神・淡路大震災の時に、カトリックたかとり教会に来て、ボランティアをしていたそうです。その時に、神戸の人にお世話になったという気持ちを持っていて、手厚く受け入れてくださいました。<br /><br />■4週間、同じところで活動をする<br />環境防災科の3学年がそれぞれ1週間ずつ、そして、普通科の生徒が1週間、の計4週間同じ地域で活動をしました。活動のときは、高校の体操服を着せます。<br />1週間経ち、2週間経つと、地元の人が、「ご苦労さん」と声をかけてくれるようになります。仮設に工事に来ている関東の建築のおじさんたちも「おっ、頑張れよ！」と声をかけてくれ、顔なじみが増えていきます。<br /><br />■「わしの神戸の孫や」<br />7月と8月に1度ずつ（違う地域で活動の合間に）「もう一度5月に行った地域に、顔だけ見せに行こう」と、行ったことがありました。<br />ある女子生徒は、おじいちゃんと二人で町中を歩いたそうです。すれ違う知り合いに、おじいちゃんが「この子が、わしの神戸の孫や」と紹介してくれたそうで、すごく嬉しかったそうです。もう一度行くことで、「忘れていません」というメッセージになるかと思いました。<br />ただ、夏に行く前に、余震があると電話をしたり、手紙を書いたり、何度もやり取りをしていた生徒もいました。生徒のほうが一枚うわてでした。<br /><br />■２つの継続性<br />一回行って帰ってきて、「俺は、ボランティアしたんや」というようなボランティアにはなってほしくありません。被災地から見れば、「自分たちの地域にボランティアがやってきて、すぐにいなくなって、忘れ去られるのは嫌だ」という気持ちも、よく分かります。<br />1つの被災地にこだわり続ける継続性と、一生の中で防災・災害・ボランティアに関わり続ける継続性、どちらも大切です。<br /><br />■高校生の武器<br />高校生は私たち大人と比べると、しゃべりやすいところがあるかもしれません。子どもと遊ぶのには体力がいるので、高校生にはもってこいです。純真無垢に入っていって、愚直に働くことで、信頼を得られることは大きいと思います。初めて会った高校生を孫みたいなイメージをもってくれるのは大きいと思います。<br /><br />■これからもつながり続ける<br />外から来た、よそ者の自分たちに、一番つらい体験を語っていただいた時、私たちは涙を流すだけで感想なんていえないと思います。そのような時に、「ありがとうございます」と言葉を残すことは大切だと思います。<br />忘れられていないということや、神戸の人にあなたの体験をつなぐということ、「あなたは一人じゃないですよ」というメッセージを伝えることも大切だと思います。<br />現地へ行く、神戸に来ていただく活動も続けていきますが、生徒がよくやっている手紙を出す、電話をするというつながりも続けていきたいと思います。<br /><a name="more"></a>

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<title>3月11日以降5ヶ月に渡る福島での経験から、12月今こそ神戸の知恵が生きると語る長谷部治さんの提議。</title>
<description>今月のゲスト：社会福祉法人神戸市社会福祉協議会総務部経営企画課主事　長谷部治さん1112_daishinsai_hasebe1.mp3■長田に来たのは1995年の2月阪神・淡路大震災を鹿児島で知り、ボランティアで長田に来ました。大学3年の終わりでした。4年になり大学には戻りましたが、大学は休みも長いので、かなりの時間を長田で過ごしました。翌年、長田の社会福祉協議会に入社し、ボランティアセンターで長く勤めさせていただきました。■東京での臨時会議東日本大震災の翌日、東京での臨時会..</description>
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<dc:date>2011-12-03T22:12:45+09:00</dc:date>
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<a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1112_daishinsai_hasebe1.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1112_daishinsai_hasebe1-thumbnail2.JPG" width="150" height="112" border="0" align="" alt="1112_daishinsai_hasebe1.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1112_daishinsai_hasebe1-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />今月のゲスト：社会福祉法人神戸市社会福祉協議会総務部経営企画課主事　長谷部治さん<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=2ec4118e075948acb63650a7d7a4613e&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1112_daishinsai_hasebe1.mp3"></audio></div><br />■長田に来たのは1995年の2月<br />阪神・淡路大震災を鹿児島で知り、ボランティアで長田に来ました。大学3年の終わりでした。4年になり大学には戻りましたが、大学は休みも長いので、かなりの時間を長田で過ごしました。翌年、長田の社会福祉協議会に入社し、ボランティアセンターで長く勤めさせていただきました。<br /><br />■東京での臨時会議<br />東日本大震災の翌日、東京での臨時会議に行きました。災害ボランティア活動支援プロジェクト会議という全国組織の会議です。災害ボランティアセンターの運営や支援体制について話し合いました。<br />現地の様子は全く分からない状態でした。全国から人を集めて、ボランティアセンターの運営を手伝うことや、お金のことなどを伝えに行くことになりました。3月12日の夜に、私は、福島と宮城に伝えに行く担当に決まりました。道中で、福島に入れたという委員がいたので、福島は任せることにして、宮城に向いました。<br />3月13日の未明から2日間、現地の様子を見させていただきました。<br /><br />■ガソリンがない<br />宮城県社協・仙台社協の車を緊急車両に指定してもらいました。高速道路上のガソリンスタンドは生きていたので、給油でき、被災エリアの市町村に行くことができました。（正直、それまでは、燃費のいい車の取り合いでした。）<br /><br /><a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1112_hasebe3.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1112_hasebe3-thumbnail2.JPG" width="150" height="112" border="0" align="" alt="1112_hasebe3.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1112_hasebe3-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=4aefc31e10813b4f8653e07f1b4972b1&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1112_daishinsai_hasebe2.mp3"></audio></div><br />■2つの大震災の違い<br />語弊があるかもしれませんが、仙台の町中に入ったときに、「意外と大したことないな」と思いました。自販機やビルもほとんど倒れていなかったからです。<br />一方で、仙台東部道路という盛土構造の道路をくぐり、海側に出た瞬間に、何もかも流されているという状況でした。「局地的」という表現そのもので、津波の来たエリアが局地的にやられ、その他のエリアは、阪神・淡路の時に比べると揺れの被害が少なかったという印象がありました。<br />また、「けが人があまりにも少ない」と日赤の医療チームがよく言っていました。全く大丈夫か、お亡くなりになっているかの両極端で、死亡判定をするのと、健康薬の対応をするのがほとんどだったようです。<br /><br />■過去の災害の経験が通用しない<br />福島県内のボランティアセンターへ人を送り込むための調整をしていました。初期は、「本当にそこに行って大丈夫なのか？」という議論も大きかったです。<br />南相馬市の原町区にボランティアセンターを設立したものの、政府の区画では、屋内退避エリアでした。「屋内退避エリアでのボランティア活動をどう考えるか」「テントは屋内か屋外か」など過去の災害の経験が通用しないことも多くありました。<br /><br />■ボランティアの安全は、被災者の安心にもつながる<br />過去の経験が通用しない中で、信念を持って貫いたのは、「被災者の方たちは、ボランティアが自分の家や町に来て、怪我をしたり、お亡くなりになって喜ぶ人はいない」ということです。<br />過去、私が関わった災害ボランティアセンターで3名の方がお亡くなりになっています。4人目を出さないということは、私にとっての命題でした。<br />この夏は、非常に暑かったのですが断固として、長袖長ズボンは徹底させました。「あなたが安全に帰ってくることが、被災者の人の安心にもつながる」ということをきちんと伝えていきました。<br />並行して、熱中症対策も必要でした。水分補給のためのスポーツドリンクの手配も私の仕事でした。<br />特に、計画停電などの影響もあってか、関東勢の当事者意識が極めて強かったです。<br /><br />■阪神・淡路から16年が経ち、法律も制度も変わった<br />介護保険の始まり、障害者自立支援法、個人情報保護法などができ、保護条例が各地に設置されていることは、支援活動に良くも悪くも大きく影響していました。<br />近年は、ケアマネージャーやホームヘルパーが個別に関わっているので、阪神･淡路の時ほど、孤独死リスクは高くないと思っています。福祉に関わる仕事をしている人や家族が多くなったことで、市民の目が変わってきているということもあります。<br />個人情報保護法には、緊急時の除外規定もあります。犠牲者の一覧がテロップで流れるなどがそうです。しかし、緊急時はいつまでかということは、市町村の条例によって違っていたり、決められていなかったりします。<br />仮設住宅の入居者名簿が出てこない、避難所の住民の構成が分からないという「情報が全く出てこない」という現象もよくありました。<br /><br />■市町村をまたいだ避難の難しさ<br />福島に関して言えば、元の市町村から離れて避難しているケースがよくあります。<br />飯舘村の村民が福島市に避難している時に、保護条例は、飯舘村と福島市どちらに起因するのか、という問題が生じてきます。<br />また、相馬市では、避難所だけでなく仮設にも夕食を配っていました。飯舘村の人で、相馬市の仮設に入った人は、夕食があたるけれど、福島市の仮設に入った人は夕食があたらないという問題もありました。<br /><br /><a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1112_hasebe4.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1112_hasebe4-thumbnail2.JPG" width="150" height="112" border="0" align="" alt="1112_hasebe4.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1112_hasebe4-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=86ac8b91b8e612bb08ffa05710dc4de8&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1112_daishinsai_hasebe3.mp3"></audio></div><br />■福島の34か所の災害ボランティアセンター<br />発災直後3日以内にボランティアセンターを作ることが、私達の目標です。しかし、今回は6月にも新規のボランティアセンターが出来たところもあります。飯舘村は、全壊、半壊ゼロでした。ところが、空間放射線量が高く、二重避難を余儀なくされ、新たに避難した地域でボランティアセンターが開設されたためです。<br />福島県下、59市町村に34か所の災害ボランティアセンターが開設されていました。岩手宮城あわせた37エリアのボランティアセンターと同じくらいのボランティアセンターが開設されています。<br /><br />■今後の支援、今こそ阪神・淡路の経験を･･･<br />携帯電話やインターネットが普及し、人の生活も変化しました。ボランティアセンターの支援としては、2004年の中越地震、2006年の中越沖地震を参考にすべきことが沢山あります。<br />応急仮設住宅への避難というと、プレハブの仮設住宅をイメージしがちです。しかし、東日本大震災の被災地では、みなし仮設（民間のアパートやマンションを県や市が借り上げ、仮設住宅として住むことができる住宅）の数はプレハブ住宅のおよそ倍です。通常の地域に住んでいるという実態からすると、災害復興住宅のときと同じ支援対策が必要なのです。<br />これだけ大規模な復興住宅の支援活動を経験しているまちは神戸だけです。住民を地域につなぐ活動をしていかないといけないと思います。<br />社協は、阪神・淡路の時、災害ボランティアコーディネーションというより、仮設支援や復興住宅支援を頑張ってきた組織だと思っています。今後、どういう課題や問題が出てくるかということが一番よく分かっているのは神戸のワーカーだと思っています。<br /><br />■東北から学ぶこと<br />「阪神・淡路の恩返しをせなあかん」という思いがあります。お返しも大事ですが、一歩違う視点で、東北から学ぶことも必要です。それだけ法律や社会情景も変わっています。今後の災害が神戸で起きた時のことを考えると、東北の取り組みから知ることや神戸に返さなければいけないことも多いのではないかと思っています。<br /><br />■共同募金の赤い羽根<br />阪神・淡路のときに、ボランティアセンターをするお金がなかった経験から、2004年に変更され、現在では、共同募金の3％は災害ボランティアセンターのために毎年プールされています。<br /><a name="more"></a>

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<title>11月被災した女性たちが主体的に復興に関われる環境作り</title>
<description>11月のゲスト　NPO法人ウィメンズネット・こうべ代表理事の正井礼子さん1111_asai1.mp3■ウィメンズネット・こうべ1991年から男女平等や女性の人権を守る活動をしていました。日常的には、夫からの暴力被害を受けた女性の支援や緊急保護をしていました。震災の前年、一軒の家を借りて、「女たちの家」とし、女性たちが本音で語り合って、元気になれるスペースを開設しました。これからいろんな活動を始めようという時に、震災があり、そのあたりは土地ごと流されてしまいました。家を失ったあ..</description>
<dc:subject>ポッドキャスティング</dc:subject>
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<a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1111_masai.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1111_masai-thumbnail2.JPG" width="150" height="112" border="0" align="" alt="1111_masai.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1111_masai-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a>11月のゲスト　<a href="http://homepage1.nifty.com/womens-net-kobe/" target="_blank">NPO法人ウィメンズネット・こうべ</a>代表理事の正井礼子さん<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=28a911ff2a671107951a72fe551cd793&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1111_asai1.mp3"></audio></div><br />■ウィメンズネット・こうべ<br />1991年から男女平等や女性の人権を守る活動をしていました。日常的には、夫からの暴力被害を受けた女性の支援や緊急保護をしていました。震災の前年、一軒の家を借りて、「女たちの家」とし、女性たちが本音で語り合って、元気になれるスペースを開設しました。これからいろんな活動を始めようという時に、震災があり、そのあたりは土地ごと流されてしまいました。家を失ったあとは、六畳一間を借り、女性支援ネットワークを立ち上げ、女性のための電話相談、乳幼児を連れたお母さんや子どもの支援を始めました。結果として、震災で活動が広がりました。<br /><br />■雑魚寝の避難所で<br />避難所では、着替えの場所がないことや、子どもの夜泣きに悩む女性が居づらさを感じ、半壊の自宅に戻る人もいました。男性の目を気にして、トイレに行くのを我慢し、水分摂取を控えために、体調を崩した女性も多かったようです。（私たちも東日本の震災を受けて知ったのですが、）「トイレは男女離して作る」という国際基準あったそうです。<br /><br />■大変なとき、家庭内のもめごとなんて･･･<br />暴力問題も表には出にくかったものの存在していました。<br />妊娠8ヶ月、彼と同棲中に被災し、家を失い、彼の実家に居候していた女性です。「子どもなんかいるもんか」と彼から殴る蹴るの暴行を受けていると相談を受けました。「彼の家族はあなたを守ってくれないの？」と尋ねましたが、「頼むから、息子を怒らせないでくれと言われるばかりで、誰も自分を守ってくれない」というものでした。<br />家のローンがまだあるのに家がなくなってしまって、夫の取引先もつぶれて、毎晩、子どもに暴力をふるう、という相談もありました。<br />「みんな被災している大変な時なのに、家庭内のつまらないもめごとを相談する私はわがままですか？」とみんな言います。<br /><br /><a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1111_masai_saijyo.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1111_masai_saijyo-thumbnail2.JPG" width="150" height="112" border="0" align="" alt="1111_masai_saijyo.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1111_masai_saijyo-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=bbca9b4a81ca693bc89f7f62c5bf9e74&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1111_masai2.mp3"></audio></div><br />■東日本の被災地へ<br />神戸との違いとして、女性に対する暴力や性被害に対する対策は進んでいました。女性の自衛官や警官が全国から派遣されていましたし、女性の支援団体も予防カードを配ったり、張り紙をしていたり、配慮がされていました。<br /><br />■そこでしか生きられない、だから我慢する<br />女性だけで語り合う女性支援セミナーを2ヶ月に1回ぐらいしていました。<br />そこで、こんな話をした人がいました。阪神・淡路大震災のとき、仮設は辺鄙なところに作られました。小さな子どもがいる人は、なかなか買い物に行けませんでした。代わりにお買い物に行ってくれるおじさんがいたそうです。そのおじさんに感謝して、夕食に招いたときに、被害にあったそうです。<br />その話を聞き、「その時すぐに、警察に行けばよかったのに」と言った方がいました。その言葉に対し、「そこでしか生きていけない時に、誰にそれを語れと言うのですか？」と言ったのが心に残りました。<br />今度、災害が起こったときに、そういうことが決して起こらないように、伝えていかなければならないと思いました。<br /><br />■避難所の運営にも女性を<br />阪神・淡路大震災のときから、変わっていない点もありました。女性はきちんと意見を持っていて、参画していけるのに避難所の運営にあまりは入れていないことです。女性が運営に関わることで、生理用品や下着の配布一つとっても配慮が出てきます。男女半々のリーダーを置いた避難所では、運営がうまくいき、表情が明るかったといいます。男女それぞれの目線をいかした運営をしていくことが大切です。<br /><br />■岩手県の復興会議<br />18人のメンバー、1回目の会議は女性ゼロでした。女性たちが声を上げ、2回目には、婦人団体の代表と栄養士会の会長が入られました。沿岸部が大きな被害を受けました。岩手県漁協の女性部は8300人おられます。北海道に次いで2位の多さです。その人たちが1人も会議に入らないというのは、どういうことだろうと思いました。女性たちの多くが魚の加工場で働いていています。加工場が流され、仕事がないという生活の不安を抱えておられます。そういうことも反映される復興会議でなければならないと思うのです。<br /><br />■東日本大震災女性ネットワーク<br />私も、世話人をしています。活動で出たことをまとめて、毎月、国に提言をしていくことにしています。たとえば、復興の仕事が、がれき処理など力仕事が多いので、女性の雇用喪失も考えて欲しいです。市町村レベルで復興会議が行われていますが、なかなかそこに女性が入っていけないし、女性の意見が反映されにくい現状があります。そのような会議には、女性を30％以上入れてほしい、女性復興会議も立ち上げてほしいということです。<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=7924f62075f92e57f77267546ff6b483&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1111_masi3.mp3"></audio></div><br /><br />■女性の雇用の喪失<br />大きく取り上げられなかったものの、阪神・淡路大震災では、10万人の方が解雇されました。女性は補助労働だという考えもあり、その10万人の多くはパートなど非正規雇用の方です。雇用の喪失は、シングルの方はすごく大変です。<br /><br />■安心して住める住まいを<br />災害時に女性や子どもはうまくいかないことやストレスのはけ口にされがちです。女性は出て行く先がないと、我慢されます。すでに8月に仮設で、DVによる殺人事件が起こっています。困ったときに、SOSをきちんと出せて、その人が安心して住めるすまいを提供できるような環境をつくることが大切だと思います。<br /><br />■ハンドマッサージ隊になって<br />保健師、助産師とともに、被災地に入りました。「何かお困りですか？」と聞いても見ず知らずの私たちに話してはもらえませんでした。そこで、持っていたハンドクリームを使って、ハンドマッサージ隊になりました。とても好評で、たくさんの人が寄ってきてくれました。<br /><br />■ハンドマッサージをしながら<br />1人10分程度ですが、いろいろな話をしました。ごつごつの手の方がおられたので、「すごく頑張って働いてこられたのですね」と言ったら、「私は3、40年ずっと魚を加工していた」とおっしゃっていた方の手は、包丁の形や魚を握る形に変形していました。ご主人と一緒に船にのって魚を引き上げていたという80代の女性もいました。沿岸部の女性たちはとてもたくましかったです。足湯と同じように、肌にふれることで心が開かれるようでした。<br />「ハンドマッサージは、誰にでもできます。皆さんもお互いにしてくださいね」と、マッサージクリームを渡しました。<br />「何がほしいですか？」と聞くと、仕事や車と答えた方が大勢いらっしゃいました。その声を聞いた友人が、廃車にする車を手配して、シェアカーとして被災地に提供するということもありました。<br /><br />■忘れないでいてほしい<br />私は、同じところへ行って、同じ人たちと交流をしていこうと思いました。帰るときに、「本当に何もできないのが申し訳ないと思う」と私が言うと、「神戸のときは遠くて行けなかった。でも、今回は、こうして来てくれることが嬉しい。勇気づけられる」と言っていただけました。物資を送ってくれることも嬉しいけれど、「どうしてる？」と電話をかけてくれること、忘れないでいてくれることが嬉しいと言っていました。お友達になっていくことがいいかなと思います。<br /><a name="more"></a>

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<title>10月神戸の震災から始まった仮設での支援活動、そこでの知見を東北に拾っていただく。</title>
<description>10月のゲストは石東直子さん阪神淡路大震災の後、神戸、芦屋、姫路の仮設住宅の暮らしサポートを16年間続けてきたグループのリーダー。都市プランナー。1110_ishito_daishinsai_1.mp3■都市プランナーニュータウン開発、再開発、高齢者の住まいや暮らし、しあわせの村の構想・設計など時代とともに様々な仕事に携わっていました。	■生まれも育ちも生粋の長田っ子阪神・淡路大震災の時は、千里ニュータウンに住んでいました。神戸に母親が1人で住んでいたので、すぐ神戸に駆けつけ..</description>
<dc:subject>ポッドキャスティング</dc:subject>
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<a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1110_ishito1.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1110_ishito1-thumbnail2.JPG" width="150" height="112" border="0" align="" alt="1110_ishito1.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1110_ishito1-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />10月のゲストは石東直子さん<br />阪神淡路大震災の後、神戸、芦屋、姫路の仮設住宅の暮らしサポートを16年間続けてきたグループのリーダー。都市プランナー。<br /><br /><a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1110_ishito2.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1110_ishito2-thumbnail2.JPG" width="150" height="112" border="0" align="" alt="1110_ishito2.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1110_ishito2-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=7aa04e0c7755ac5ddff9d6441f0b9c9c&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1110_ishito_daishinsai_1.mp3"></audio></div><br />■都市プランナー<br />ニュータウン開発、再開発、高齢者の住まいや暮らし、しあわせの村の構想・設計など時代とともに様々な仕事に携わっていました。<br />	<br />■生まれも育ちも生粋の長田っ子<br />阪神・淡路大震災の時は、千里ニュータウンに住んでいました。神戸に母親が1人で住んでいたので、すぐ神戸に駆けつけようと思いました。公共交通機関で行けるのは、阪急の西宮北口まででした。偶然にも、1月17日の朝、西宮市の職員と仕事の打ち合わせの約束をしていたので、西宮市役所へ行きました。<br /><br />■西宮市役所で<br />震災から一週間ぐらいたって、仮設住宅の支援が始まりました。仮設住宅の応募用紙を配布する手伝いをしました。用紙を取りに来られる方は、かなりのご高齢の方や一人暮らしの高齢者が多かったです。「仮設住宅にあたっても、地域から離れたら、一人で生活せんわ」と言った方がおられ、それが脳裏に焼きつきました。母が一人で神戸に住んでいましたので、母もどうするのだろうかと思いをめぐらせました。<br />神戸まで交通がつながるようになって、神戸の日参が始まりました。<br /><br />■元気な男がつくる建物<br />高度経済成長期に弱者の視点や暮らしの視点はありませんでした。当時の仕事場は、男社会でしたので、奥さんに暮らしをまかせている元気な男が元気な絵を描いていました。<br />「これは不便だと思う」と女性の視点を私が言うと「主婦の視点はプロの視点と違う」と馬鹿にされていました。1970年前後に建った住宅は、エレベータもありません。蹴上げも高く作ってあります。元気な人が住むという考え方で、高齢者とか弱者の視点が全くなかったわけです。しあわせの村は、障害のあるなしに関わらず一緒に集える空間、施設ということで開発されました。<br /><br />■コミュニティの寸断<br />今まで長年暮らしていたコミュニティからバラバラになってしまったら、生きていかれへん、ということです。隣の人がいたから、近隣でなじんだ環境があったから、生きてこれた一人暮らしの人がたくさんいました。すぐそばに何十年もの知り合いがいる、お昼過ぎまで窓を開けなかったら、「どうしたん？」と窓を開けてくれる人がいる、買い物に行ったら、そこのお店の方とお話ができる、そういう環境があったからこそ高齢でも一人で生きていけたんです。何気ない人間関係、優しさ、目配り、気配りがあって、生きていけるんだと思います。<br />いくらボランティアが訪ねてくれると言っても、一人で仮設住宅で生きていくことはできないと思います。たくさん食べ物を持ってきてもらっても、心はそれではすまないと思います。<br /><br />■ふえる孤独死<br />仮設で2～4年、やっと隣の人とお話ができるようになったのに、復興公営住宅に引っ越すと、また一人暮らしからはじめなければいけないのです。さらに、公営住宅は、鉄の扉を一つ閉めれば、外部と全く遮断された孤立した状況になります。仮設住宅で、4年半くらいで、約250人の方が孤独死になりました。公営住宅になると、もっと増えるのではないかと思いました。<br /><br />■ふれあって住める住宅<br />震災の秋に、「コレクティブハウジング事業推進応援団」というボランタリーを立ち上げ、活動をしました。神戸市の職員に、提案しました。自分の家の面積の10％を出しあって、共同のリビングと、少し広めのキッチンをつくりました。キャッチフレーズは、「たまにはみんなで集まってご飯を食べよう、一人になりたければ自分のおうちに入ろう」でした。全国で初めて、公営のコレクティブハウジングが神戸から発信できました。兵庫県営住宅を含め10地区できました。現在では、長崎や埼玉、北海道へも展開されています。<br /><br /><a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1110_ishito3.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1110_ishito3-thumbnail2.JPG" width="150" height="112" border="0" align="" alt="1110_ishito3.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1110_ishito3-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=a619ff9a0e29aadf3f1ff7a389eaed9e&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1110_ishito_daishinsai_2.mp3"></audio></div><br />■暮らしサポート隊<br />3月11日の震災があって、「すぐにとんで行きたい」と思いましたが、まわりに止められました。というのも、2004年に手術をして、体力もおち、感染症にかかりやすい状況だったからです。現地へ行きたかったのですが、行けない悔しさがありました。<br />震災の数日後、関西へも被災地から避難されて来られる人がいることを知り、神戸でできる活動「暮らしサポート隊」を立ち上げました。避難されて来られる方の心の癒し、グリーフケアを長い時間をかけて続けていこうと思いました。ゴールデンウイーク、現地に行く仲間に「暮らしサポート隊」のパンフレットを託しました。<br /><br />■仮設住宅のサポートを教えてほしい<br />パンフレットを見た生活習慣改善センターの理事長さんから、突然電話がありました。経験がないので、話をしに来てほしいと言われました。自分の体力がおちて、気力に体力がついてこない悔しさを味わいました。元気人間には気づかない気付きがありました。<br /><br />■文化の違い<br />東北の文化は、関西の文化とは全く違う、言わば外国の文化です。東北の文化を大切にしながら、サポートすることを心がけています。被災地でお話をするとき、最初に、「私は関西の文化しか知りません。私の話は、関西の話です。みなさんに合うものだけを耳に残してください」と伝えます。<br /><br />■東北の避難所生活、仮設住宅<br />阪神・淡路大震災の教訓を受け、多くの仮設住宅が、今までのコミュニティを崩すことなく、集落単位、コミュニティ単位で入居できるように配慮しました。また、限界集落は、仮設で高齢者ばかりになると困るので、弱者の割合を全体の3割を超えないように意識的に入居させる地域もありました。<br />避難所生活が長く、高齢者は足腰が立たなくなりました。今は、元気に足腰を回復することを目標にしています。ラジオ体操をする、1日1000歩あるくようにお願いしたいと思います。<br /><br />■若い世代を育てることも私の使命<br />阪神・淡路大震災では、50代～70代くらいの人たちが多く活躍し、若い層があまり育っていません。その反省をいかして、「暮らしサポート隊」には、30代や大学生もメンバーにいます。若い世代を育てていくことも私の任務、一緒に被災地にも行っています。<br /><a name="more"></a>

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<title>9月神戸での経験を東北に繋ぐ「神戸復興塾3.11支援集会」</title>
<description>9月のゲスト　小森星児さん1109_komori1.mp3■阪神・淡路大震災のとき東灘のJRと阪急の間の地域、つぶれたのは私の住んでいたマンションだけという地域にいました。地理学者でありながら、恥ずかしいことに、「神戸でこれだけ揺れるなら、東京は海の底だろう」と思いました。歴史的に言うと、神戸の震災の記録は少ないです。地質的に言うと、起こる場所であったことは確かですが、切実感がなかったです。■さまざまなボランティア活動自分の家が、なくなったので、マンションの再建組合の組長に押..</description>
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<dc:date>2011-11-01T19:56:49+09:00</dc:date>
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<a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1109_komori2.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1109_komori2-thumbnail2.JPG" width="150" height="112" border="0" align="" alt="1109_komori2.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1109_komori2-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />9月のゲスト　小森星児さん<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=e6702e4a602a954521d725fef3e7ceea&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1109_komori1.mp3"></audio></div><br />■阪神・淡路大震災のとき<br />東灘のJRと阪急の間の地域、つぶれたのは私の住んでいたマンションだけという地域にいました。地理学者でありながら、恥ずかしいことに、「神戸でこれだけ揺れるなら、東京は海の底だろう」と思いました。歴史的に言うと、神戸の震災の記録は少ないです。地質的に言うと、起こる場所であったことは確かですが、切実感がなかったです。<br /><br />■さまざまなボランティア活動<br />自分の家が、なくなったので、マンションの再建組合の組長に押されて、皆さんを引っ張っていかなければなりませんでした。<br />当時、姫路短期大学の学長もしていました。学生を連れ、避難所や仮設住宅でお世話をする仕事もありました。<br />加えて、住宅政策が専門なので、「いかに安全な住宅を作るか」ということは職業上でも大切な問題であり、個々のご相談にも応じてきました。<br /><br />■反省から学問は進歩する<br />専門家として当然やるべきことだと思います。自分自身の勉強にもなります。まさか「次に大震災が待っている」とは思ってもいなかったので、その場限りのものかもしれませんが、長い間お世話になった兵庫、神戸で力を貸すのは当然だと思っていました。<br />同じ課題を抱えて、支援活動に参加されています。一緒に活動をすることは、励ましにもなりました。<br />「自分たちの考え方が間違っていた」、「もっといい提案ができたのではないか」という反省に立って、学問は進歩するものだと思います。<br /><br />■神戸復興塾での取り組み<br />専門家の参加の仕方にはいくつもあると思います。一つは、政府や行政のブレーンとなって、復興をお手伝いするという方法があります。もう一つは、現場に入って、現場の苦労を自分の問題として捉え、それについて助言したり、新しい試みを紹介するという方法があります。仕事上、私は、両方にまたがっていました。実際に現場で、犠牲になった方や被害を受けられた方々から、知恵やエネルギーを得たことはありがたいことであったと思っています。<br /><br />■神戸アイウォーク<br />アイウォークは、募金イベントとして始めました。メンバーが、アメリカでエイズウォークに参加したのがヒントになりました。震災のあと、多くの民間団体ができましたが、多かれ少なかれ資金不足で困っていました。寄付を集める方法の一つとして、被災地の現場を歩いていただくのが良いのではないかということで始まりました。<br />アメリカの場合は、10kmほどの間、交差点が全くありません。神戸の場合、鷹取から三宮まで歩くと、70数箇所も交差点があり、誘導員を置かなければなりません。明石での花火の事故もあり、中学生に誘導をお願いするということについても責任が重すぎる、とはばかられるようになりました。アイウォークは、残念ながら3年で打ち切らざるをえませんでした。<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=a945dcd98071cf499162c68c45c59fc0&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1109_komori2.mp3"></audio></div><br />■東日本大震災の現場で<br />5月の末に4～5日間、宮城県の三陸海岸に行きました。また、7月には1週間ほど、岩手県盛岡をベースに、被災地へ通ったり、被災者支援組織の立ち上げに協力するために行きました。<br /><br />■方向が定まらない<br />神戸の場合、目標ははっきりしていました。「復旧は、国が責任を持ってやる。復興は、地元が中心になってやる。」やるべきことも明確で、民間で期待される役割についても、提案してやっていくことができました。<br />東北の場合は、地域も広く、単なる普及では間に合わないということは明らかです。心が痛む話ですが、災害がなくても、10年、20年後には厳しい状況に置かれる。災害はそれを加速させました。単なる復旧で、元に戻っても意味がなく、何か新しいものを見つけなければならないのですが、いまだに方向が定まっていません。<br /><br />■3.11被災者支援の会<br />1つは、被災地へ行って支援をする、神戸の経験を現地で洗い直し、使えるものを準備するという活動です。<br />もう1つは、避難してこられた方を支援するという、神戸でできる活動です。現在でもいくつもの活動が地道ですが、続いています。いつになったら帰れるかという見通しが立ちにくい状況です。<br />特に福島の場合は、いつ帰れるか分からないという事情の上に、働き手は福島に残り、お年寄りや子どもたちがこちらに来ているなど、さまざまな形態での避難があります。「神戸で新しい仕事をしませんか」という提案をしても、なかなか反応がありません。<br />これからの支援のあり方についても難しいところです。<br /><br />■支援の会は、ボランティアのフリーマーケット<br />集まってこられた方には、黒板に仕分けして、発表や報告したいことを書いていただきます。現地での支援、神戸での支援、子どもの教育の支援、集まってくる方も多彩です。ボランティアは、年齢不問です。社会人もいれば、引退された方も、行政やマスコミ関係の方もいます。いろんな立場から助言をしたり、自身の経験を語ることで、活動の幅が広がることを期待しています。<br /><br />■避難して来られた方への支援<br />行政の受け入れ体勢も十分でなかったので、こちらへ避難してきた方が困っていました。できるだけ神戸、阪神に避難してこられた方を、十分に受け入れたいと思いました。<br />「なぜこちらに避難して来られたのですか？」と伺うと、「この地域は、阪神大震災の経験があるから、私達の立場も理解してもらえると思った」とおっしゃる方もいます。<br /><br />■自分事として考える<br />私たちが、東日本の被災地を支援するのは、困っているからいくというだけではありません。日本のような災害大国では、いつ次の大災害が来るか分かりません。今、ここで学ぶことは、決して他人のためだけではないのです。我々や次の世代のために役に立ちます。そのようなことを十分考えて、参加することは大切だと思います。<br />例えば、津波に備えて高台に家を建てるというのは、東北だけの問題ではありません。和歌山でも、高知でも、兵庫でも同じ問題を抱えているのです。現地で学ぶということは、同時に、今の我々のために活かすことでもあります。のんびりしている場合ではないということを若い人たちに伝えたいです。<a name="more"></a>

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<title>8月 兵庫ボランタリープラザ所長代理高橋さんを迎えて</title>
<description>2011年8月のゲスト　高橋守雄さん神戸駅降りてすぐのロケーションにある「ひょうごボランタリープラザ」そこでの様々な活動をお話いただきました。1108_takahashi1.mp3■「ひょうごボランタリープラザ」とは？阪神淡路大震災のボランティア支援を教訓に、平成14年に中央区（神戸駅前、クリスタルタワー6階）につくられました。ボランティアグループやNPOの支援拠点、災害時のボランティア派遣の拠点として活動しています。過去には、但馬や洲本、佐用町の水害の兵庫県のボランティアの..</description>
<dc:subject>ポッドキャスティング</dc:subject>
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<dc:date>2011-08-24T14:08:10+09:00</dc:date>
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<a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1108_takahashi1.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1108_takahashi1-thumbnail2.JPG" width="150" height="112" border="0" align="" alt="1108_takahashi1.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1108_takahashi1-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />2011年8月のゲスト　高橋守雄さん<br />神戸駅降りてすぐのロケーションにある「ひょうごボランタリープラザ」<br />そこでの様々な活動をお話いただきました。<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=fc443d6d9ea4733c944ff24bbd52b083&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1108_takahashi1.mp3"></audio></div><br />■「ひょうごボランタリープラザ」とは？<br />阪神淡路大震災のボランティア支援を教訓に、平成14年に中央区（神戸駅前、クリスタルタワー6階）につくられました。ボランティアグループやNPOの支援拠点、災害時のボランティア派遣の拠点として活動しています。過去には、但馬や洲本、佐用町の水害の兵庫県のボランティアの活動拠点になりました。兵庫県には、約4000～5000のボランティアグループがあり、それらのグループに対して、資金面の協力や援助、ボランティアの養成講座なども行っています。市や町のボランティアセンターのボランティアコーディネーターの養成講座や勉強会の実施、人件費補助などの援助もボランティアプラザの大きな仕事です。<br /><br />■東日本大震災が発生<br />震災から1週間後の3月18日、井戸知事を先頭に兵庫県の先遣隊として医療やボランティアなど様々な分野の人間が現地に入りました。阪神淡路の時とは被害も違いますので、早期のボランティアの活動の方法を考えました。<br /><br />■阪神・淡路大震災当時、高橋さんは･･･<br />県庁の広報課で、プレス対応などにあたっていました。被災地ではなかなかテレビなどを見る機会がないので、臨時FMラジオ局フェニックスを立ち上げました。県庁も非常電源が使えず、水道、電気、テレビは不通でした。私も昔、警察官をしていて、「自分のことより、県民、市民のために、命や財産を守るのが使命だ」と思っていますので、這ってでも行かなければと思い、県庁へ向いました。第一回の災害対策会議から参加していました。県警本部もつぶれていました。震災当日、県庁の情報源は携帯ラジオ一つだけでした。<br /><br />■スタッフの危機管理、活動に集中できた<br />7月、福島へボランティアバスを出しました。原発から数十kmの海岸で、活動することになりました。原発のことが気になり、初めてスタッフ全員に携帯ラジオを持たせました。その時に大きな余震があり、東北沿岸に津波警報が出ました。彼らは、いち早くラジオで情報を知ることができ、ボランティアを一時、高台に避難させることができました。スタッフがラジオを聴いていたことで、ボランティアからも「活動に集中できた」という声を聞くことができました。<br /><br /><a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1108_takahashi2.JPG" target="_blank"><img src="http://d
aisinsai.up.seesaa.net/image/1108_takahashi2-thumbnail2.JPG" width="150" height="112" border="0" align="" alt="1108_takahashi2.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1108_takahashi2-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />お相手はいつものように西條遊児さんです。<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=0573d25e7323d8042298d06ed62c965b&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1108_takahashi2.mp3"></audio></div><br />■ボランティアの前さばき<br />ゴールデンウィークの連休を前に、ボランティアが高速道路に集中するということを考えました。被災県の行政は混乱しているので、ボランティアの前さばきをするセンターがいるということを考え、知事に進言しました。阪神淡路大震災の時にも、大阪に似たような拠点があり、そこから被災地に入っていただいた経験がありますので、今回はわれわれがその役割を果たそうと思いました。まず兵庫県がやれば、他府県も一緒に考えてくれるのではないかと思ってはじめました。<br />泉パーキングエリアの空き地に、昔、料金所であった大きな建物があります。そこは、7、8年前に廃止になりました。提供して欲しいと東日本道路会社に頼みました。厳しい条件がたくさんありましたが、ボランティアの必要性が世間から言われはじめ、東日本道路会社も積極的にやっていただきました。4月20日から5月15日まで活動していました。<br /><br />■インフォメーションセンターでは<br />現地のボランティアのニーズをお伝えしたり、行く先を決めて来られなかった方へ最新の情報（交通情報、宿泊情報など）を発信したりしていました。朝7時から夜6時まで、現地のボランティアスタッフなどもあわせて20人くらいが在中し、ボランティアの前さばきをしました。<br /><br />■ボランティアの変化<br />連休が終わってボランティアの数は、少し減りました。夏休みに入り、若いボランティアが増えてきていますが、7月末で、70万人くらい、阪神淡路の半分程度です。兵庫県は、日本の真ん中あたりなので、来やすいということがありました。東北はやはり遠いです。飛行機や新幹線など交通のボランティア割引を導入してほしいと言っているのですが、なかなか実現しません。私どもでは、ボランティアの足を確保しようと、バスを走らせています。兵庫県で7月までで70台くらい出しました。バスの中で寝るので、40人定員のバスでも20人ほどしか乗車できません。<br /><br />■県外避難者の里帰り<br />7月に福島へ、8月に宮城へ里帰りバスを出しました。「一度帰ってみたい」「こちらでの生活が安定してきたので、ボランティアをしてお返ししたい」という思いからです。多くの反響がありました。これからも継続的にやっていきたいなと思います。<br /><br />■学生のボランティア<br />私どもで、この夏、約40台ボランティアバスを出しています。民間団体が出しているバスを合わせると全国でも突出して多いです。兵庫県は舞子高校で有名ですけれども、彼らのいい影響を受け、他の学校も行きたいという声があがっています。4日間行くだけでバス1台、約40万円かかります。若い学生たちの熱意を打ち消すことはあってはならないし、助けてやりたいという思いもあります。高校から依頼を受け、現地との連絡などをお手伝いすることもあります。校長会でも発表されて、競うようにボランティアに行きたいという声があがっています。人数が少ない学校は、数校で集まって一緒に行きましょうという声かけもあります。他の行政機関は、経費面もあり、辞めていっています。阪神淡路の恩返しだということで、県民に理解が得られることだということで、思い切った経費も積んでくれます。若いボランティアが行きやすい条件を整えていきたいと思っています。<br /><br />■息の根の長い支援を<br />避難所から仮設へ入れば、夏なら日よけのすだれをつくりに行ったり、植栽をしたり、虫除けに行ったり、話相手になったり、冬になると雪よけをしたり息の長い支援が必要です。兵庫県や神戸市は、他府県が辞めても、やらなきゃならない、教訓や役割があると思います。<br /><br />■兵庫から、神戸から<br />阪神淡路を経験しているのは全然違うと思います。「神戸から」と言うと、地元の方は、安心してさまざまな相談をされます。その時その時にニーズは違いますが気持ちは同じです。阪神淡路の時は、この時期になるともうほとんど分かっていましたが、東北の場合は、行方不明の方は「まだ生きているんだ」という気持ちがあります。まだお子さんを捜し、海岸へ行っておられる親御さんがたくさんおられます。<br /><br />■もしものときの心構え<br />災害は、本当にいつ来るか分かりません。遠くにいてもできる支援はなにか考えていたいと思います。いつも、近くにいる仲間やネットワークを大切にしながら毎日を生きていたいと思います。情報はとても大切です。ラジオは携帯のように持っておられたら良いと思います。<br /><a name="more"></a>

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<title>7月 阪神淡路大震災の産業復興と東日本大震災の災害復興～地域の特色を語る。</title>
<description>7月のゲスト 神戸市産業振興局参事　三谷陽造さん1107_mitani1mp3.mp3■阪神淡路大震災当時は？神戸市の経済局工業振興課にいました。造船、ケミカル、鉄工所など現場を歩いて涙を流しました。工場がなくされ、従業員の方も自宅をなくされて、長田に居ることができないという状況の中で、なんとか長田に戻ってきていただいて、ここで仕事をしていただくために、何ができるかということで動いていました。まずは、働く場所の確保のために動きました。■仮設の工場を建てる仮設の工場の用地をどこ..</description>
<dc:subject>ポッドキャスティング</dc:subject>
<dc:creator>FMYY</dc:creator>
<dc:date>2011-07-28T18:39:50+09:00</dc:date>
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<a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/110703_mitani.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/110703_mitani-thumbnail2.JPG" width="150" height="112" border="0" align="" alt="110703_mitani.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/110703_mitani-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />7月のゲスト 神戸市産業振興局参事　三谷陽造さん<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=2943c6f6432100214121c78c5ec7cfb1&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1107_mitani1mp3.mp3"></audio></div><br />■阪神淡路大震災当時は？<br />神戸市の経済局工業振興課にいました。造船、ケミカル、鉄工所など現場を歩いて涙を流しました。工場がなくされ、従業員の方も自宅をなくされて、長田に居ることができないという状況の中で、なんとか長田に戻ってきていただいて、ここで仕事をしていただくために、何ができるかということで動いていました。まずは、働く場所の確保のために動きました。<br /><br />■仮設の工場を建てる<br />仮設の工場の用地をどこにもってくるか考えたときに、仮設とは言え工場ですので、音、においなどトラブルが出ないようにしなければならないという配慮も必要でした。住居が禁止されている工業専用地域か山の中ということで探しました。結果としては、工業専用地域にまで仮設が来ていましたので、少し離れたところに建てました。第一期の長田の人には、4月1日に鍵渡しができました。本当はもっと早ければ、もっと良かったとは思います。仮設の工場はもちろん足りませんでした。第一期の抽選は、倍率が15倍くらいありました。抽選を公正にするために、警察官立会いのもと、公開で行いました。当たった人は涙を流して喜んでくださいました。<br /><br />■地域ぐるみで分業されていた長田のケミカル<br />次は兵庫に工場を建てました。今までずっとやってきた土地に愛着があるのは分かっていたのですけれども、長田には土地がありませんでした。ケミカルは本当に見事な業界で、長田という地域、地域ぐるみで分業ができています。内職、裁断、ミシン、材料…いろんな方が自分の役割でもって地域におられます。どれ一つ欠けても成り立たないのです。西神や兵庫へ行ってしまうと、非常に不便だということはありましたね。<br /><br />■成果は…<br />実は、いまだに感じていません。商売は、景気の波に左右されます。景気がよければ、仮設工場、貸し工場、自分の工場とステップを踏んでいけたと思います。平成7年は「失われた10年」の真っ只中でした。そのあと、リーマンショックがありましたね。中国のウエイトが高くなると、靴の業界も中国抜きでは語れなくなりました。完全に戻ったということは言えないと思います。ただし、業界も行政もやれることはしっかりやりました。復興はしたのだと思います。商売が景気に左右されることから、神戸はあまりにタイミングが悪すぎたということだと思います。<br /><br />■新しくなったまち<br />新長田駅の北あたりは、まだ空き地もありますね。まちはきれいになりましたが、以前のような活気がないといけないと思いますね。<br /><br /><a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1107_saijyo.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1107_saijyo-thumbnail2.JPG" width="150" height="112" border="0" align="" alt="1107_saijyo.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1107_saijyo-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />聞き手はいつものように西條遊児さんです<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=c4907a322ca0ab613f0e6272a68ca6e3&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1107_mitani2.mp3"></audio></div><br />■岩手の被災地へ入って<br />いままでに、岩手県を中心にのべ2週間ほど行きました。東日本大震災があって、いろんな方から意見を聞かれたのですが、現場を見ていないので言えませんでした。<br />個々の集落の面積は神戸とあまり変わらないか、現地のほうが少し広いくらいです。ただ、根こそぎもっていかれているので、残っているものがありません。人も、家財も、船も、網も、何も残っていません。被害の規模は、とんでもない額になることは、容易に想像がつきました。<br /><br />■どう考え、進めていくか<br />岩手は漁業、そして漁師さんがとってきたものを加工して商品にして全国に流すという一つの流れがあります。様々な加工をすることによって、商品に価値を生み出しています。一括りになって岩手を構成してきたのです。今は、それが全てなくなっています。われわれが行って何ができるか、というよりも、どのように物事を考え、進めていくか、ということを伝えるために自分は現地にお手伝いに行っていると思っています。岩手では、漁協の方や市町村役場の方、加工業の方などとお会いしています。<br /><br />■9月に始まる鮭の漁に向けて<br />漁協の方でしたら、港の復興、船の確保などのお話をしますね。鮭を秋味とも言うように、鮭の漁は9月に始まります。それまでにこの状況を何とかしなければ、彼らは食べていけないわけです。お金の問題もあります。船がないと漁はできません。石巻だと、港が下がって水がくるので、港も整備しなければなりません。本当は全て一時にできるのが一番望ましいです。しかしそれはできないのです。一番急ぐものは何か、応急的処置を講じなければなりません。残った船でスケトウダラなどをとっています。しかし、加工工場も、製氷機も使えないため、飼料として使っています。<br /><br />■生活再建<br />船がなくなってしまったので「やめたい」という人は各港に何人かはおられるようです。でも、ほとんどの方は「やりたい」と言っておられます。長田のときに、ケミカルや鉄工所の人が「やめたい」と言った人が少なかったのと同じような状況かもしれません。<br />日銭の稼ぎ方としては、緊急雇用の制度を使う方法があります。畑の瓦礫を取り除くように、港の瓦礫を取り除くということは各港でやっています。でも、漁師さんの本分は漁をすることなので、そこにもっていかないといけませんね。残った船はフル稼働の状態です。ある港では、9月の漁にそなえて、漁師さん全員で定置網を繕って準備していました。<br />生活再建と言っても、避難所から仮設住宅へというように住むところを確保したとしても、家族4人で月々15万いるとなったときに、その15万をどうするの？っていう話ですからね。そこが生活再建の大きな部分だと思います。<br /><br />■知恵を総動員して大胆な政策を<br />経済上の話ですと、阪神淡路大震災の時と同じような話がよくあります。あのときの経験を踏まえて、国も県も市町村も、神戸がやったことよりも、もっと大胆な発想で住民を支援してほしいなと思います。こんなに大きな災害となると、これが前例になると思います。次のときに前例がないではいけないと思います。人が動かないと元には戻らないと思います。<br />東南海・南海地震といわれてもなかなか実感がありませんよね。言い伝えだけではなかなか想像し難い部分もあると思います。現地に行くと、20mの津波が来たというのは、感じることができます。実感することは大切です。現地にお金を落とすことも大切です。東北地方と言っても、全てが潰れているわけではありませんので、現地でどんどんお金を使っていただくことで、潤うと思います。<br /><a name="more"></a>

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<title>6月大学での防災学習、そしてFMわぃわぃでのインターンを通じて、被災地支援を次世代の思いで伝える</title>
<description>2011年6月は、ＦＭわぃわぃのインターン稲田靖子さん1106_inada1.mp3■FMわぃわぃのインターンシップ神戸学院大学で防災・社会貢献ユニット（「大震災を語り継ぐ」2011年3月で紹介）で、防災教育を勉強し、この春、卒業しました。大学3年生のときに大学のインターンシップでFMわぃわぃに来て、以来ずっとインターンをしています。■防災を勉強するきっかけは？大学１年生のときに、偶然受けた授業がきっかけで、防災の分野に興味を持ちました。当時、私は、有瀬キャンパス（神戸市西区..</description>
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<dc:creator>FMYY</dc:creator>
<dc:date>2011-06-15T22:38:37+09:00</dc:date>
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<a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1106_inada.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1106_inada-thumbnail2.JPG" width="150" height="112" border="0" align="" alt="1106_inada.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1106_inada-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />2011年6月は、ＦＭわぃわぃのインターン稲田靖子さん<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=11fa483df860379d1204040f2928d149&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1106_inada1.mp3"></audio></div><br />■FMわぃわぃのインターンシップ<br />神戸学院大学で防災・社会貢献ユニット（<a href="http://daisinsai.seesaa.net/archives/201103-1.html" target="_blank">「大震災を語り継ぐ」2011年3月</a>で紹介）で、防災教育を勉強し、この春、卒業しました。大学3年生のときに大学のインターンシップでFMわぃわぃに来て、以来ずっとインターンをしています。<br /><br />■防災を勉強するきっかけは？<br />大学１年生のときに、偶然受けた授業がきっかけで、防災の分野に興味を持ちました。当時、私は、有瀬キャンパス（神戸市西区）に通っていました。その授業で、キャンパスにある大時計の話を聞きました。その大時計は、震災時に明石の天文台にあった大時計でした。身近にも震災のこと、学ぶことは沢山あると感じました。もっと神戸のことを知りたいと思いました。<br /><br />■大学では…<br />防災・社会貢献ユニットでは、阪神・淡路大震災を経験した人からお話を伺ったり、実習などでボランティアに出かけたりしていました。防災教育の教材を作ったり、出来上がった教材を持って出前授業に出かけたりもしました。<br /><br />■防災教育の教材づくり<br />小学校では、教科の勉強が中心で、「防災」の時間をとっている学校は少ないので、各教科と防災を結びつけた教材の作成をしていました。<br />私は、分数の計算と防災のクイズをあわせた算数の教材を考えました。防災のことにあまり詳しくなくても、算数、分数の知識がヒントになって答えが導き出せるように工夫をしました。防災のことは普段の授業ではなかなか習わないことなので、子どもたちは、とても興味を持ってくれました。<br /><br />■東日本大震災の被災地へ…<br />今までに2度、機会をいただき、被災地へ行きました。1度目は、3月末に、ひょうごボランタリープラザのバスに乗って、宮城県の松島町に行きました。松島町は日本三景の松島がある町です。私は松島の遊覧船などがある湾のご家庭に泥かきボランティアに行ったのですが、「床上くらいの津波が来た」と聞きました。<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=2edb322a61a0d090afd46c3a88c18cf5&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1106_inada2.mp3"></audio></div><br />■松島町に行って<br />私の大学からは学生が8人一緒に行きました。バスに乗り合わせたのは全員で30人くらい、学生だけでなく一般の方もおられました。炊き出しがメインの活動でしたので、姫路のおでんの団体や佐用町の方などB級グルメの方も一緒でした。<br />初めて泥かきをしたのですが、船も流されていて、油なども混じっていて足元も滑りやすい状態でした。活動しているときは、気持ちが高ぶっていたのかあまり感じなかったのですが、気がついたら雪が舞っていました。考えたら寒かったんだろうなと思います。<br /><br />■岩手県・大槌町に行って…<br />NPO法人さくらネットのプログラムでした。関西の学生と岩手の学生で、たこ焼きを焼いて、子どもたちと遊んで、みなさんに喜んでもらおうというプログラムでした。<br />夜行バスで行って、現地で2日間活動をして、夜行バスで帰ってくる、という日程でした。<br />1日目は、あいにくの天気でしたが、本番の準備をしました。たこ焼きのチラシを避難所に配りに行ったり、子どもと遊ぶ準備として、計画をたてました。<br /><br />■2日目、たこ焼きは成功？<br />鉄板が新品だったこともあって、最初はまともなたこ焼きが全くできず、焦りました。行列ができてしまったのですが、苦情も出ず、温かく見守ってくださって。<br />最後には丸いたこ焼きが焼けるようになって、（みなさん焼けなかったところも見てくださっていたので、）一緒になって喜んでくださって、本当に嬉しかったです。<br /><br />■ボランティア活動に参加して<br />最初、バスの中で「たこ焼きを焼くだけ？　意味があるのか？」「泥かきがしたい」と言っていた仲間もいました。一生懸命たこ焼きを焼くこと、自分が出来ることを一生懸命することで何か伝わったり、感じてもらえることがあるのだなと思いました。<br />私も、特に何ができるとか、これなら自信があるとか、ということないですけど、「だれかのために何かをしたい」という気持ちがあれば、その気持ちは相手の方にも届くと思います。迷っているなら、ぜひ動いて何か自分で感じて欲しいと思います。<a name="more"></a>

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<title>5月阪神淡路大震災のラジオでの情報支援の知恵を生かし東北大震災の情報支援を行う！</title>
<description>2011年5月のゲストは、特定非営利活動法人エフエムわいわい代表日比野純一さん1105_hibino1.mp3■東日本大震災、FMわぃわぃの活動3月11日以降、臨時の災害FM局がたくさん立ち上がりました。また、もともとあったコミュニティ放送局が出力を増大して臨時の災害FM局として放送をしています。災害FM局は、災害情報、救援情報、復旧情報などを流しています。そのラジオ局を通して、被災地支援をするというのがFMわぃわぃの活動の一つです。16年前と比べると、災害FM局に対して法律..</description>
<dc:subject>ポッドキャスティング</dc:subject>
<dc:creator>FMYY</dc:creator>
<dc:date>2011-06-15T22:34:07+09:00</dc:date>
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<a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1105_hibino.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1105_hibino-thumbnail2.JPG" width="150" height="112" border="0" align="" alt="1105_hibino.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1105_hibino-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />2011年5月のゲストは、特定非営利活動法人エフエムわいわい代表日比野純一さん<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=7cea7c9aa8ae2f873a49b96a1086daa2&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1105_hibino1.mp3"></audio></div><br />■東日本大震災、FMわぃわぃの活動<br />3月11日以降、臨時の災害FM局がたくさん立ち上がりました。また、もともとあったコミュニティ放送局が出力を増大して臨時の災害FM局として放送をしています。災害FM局は、災害情報、救援情報、復旧情報などを流しています。そのラジオ局を通して、被災地支援をするというのがFMわぃわぃの活動の一つです。<br />16年前と比べると、災害FM局に対して法律も柔軟に対応しています。東北総合通信局の方は、電話一本でラジオの認可をしているとのことでした。臨時のFM局の期間は通常2～3ヶ月ですが、状況を見て放送を続けていく、ということでした。<br /><br />■放送局を立ち上げ、広げていく中での一番の苦労<br />16年前、災害が起こって、災害ラジオ局を立ち上げました。最初の1、2ヶ月は「やらなきゃいけない」という気持ちや勢いもあるし、人も沢山いました。でも、何ヶ月か経った時に、続けていく体力ですよね。人のマンパワーと経済的な持続力です。<br />東北の人たちも、今、放送をしているのは、被災の大きくなかった地元の人たちです。彼らは、復興の段階で、いずれコミュニティ放送局になったらいいなと思っています。ただ、今は、「今日のこと」「明日のこと」で頑張っている状況です。この状況で、いつまで続けられるかというところですよね。<br />中央募金会に寄せられた支援金があります。地元の人たちがグループを作って申し込みをしたら、300万円まで救援活動にあてることができます。その中に、コミュニティFMも明記されています。社会的に続けていくためのお金も必要だという位置づけができてきたということだと思います。<br /><br />■被災地はまだ強い余震も続いていて…<br />現地は、本当に大変です。初めて訪問したとき、目を疑いました。現地は、まだ強い余震がしばしば起こっています。災害FM局は、緊急時放送の役割も果たさなければなりません。神戸の場合、1、2ヶ月経った頃には、復旧の活動などの情報を流していくという比重が高まっていました。東北では、復旧の情報も流していますが、緊急時のことも常に考えているような状況です。東北の人は、「ラジオの台数がいくらあっても足りないんだ、一人一人が持ってもらうような形がいいんだ」と言っていましたね。<br /><br />■臨時災害FM局は<br />臨時災害FM局は、市町村など役所に認可をおろします。市や町の役場の職員が放送をするわけではありません。地元の商店街の人たちだとか、活動が出来る人が寄り合って放送をしています。市役所の一室でしているところもあります。市役所の空き地にプレハブを建て、生活相談の隣でしているところもあります。市役所のフロアで罹災証明を発行している隣で放送しているところもあります。<br /><br />■自分たちの言葉で 自分たちのまちを伝える<br />亘理町の臨時のラジオ局の話です。亘理弁で民話を朗読する時間があって、避難所でおじいちゃんやおばあちゃんが楽しみして聴いているそうです。自分たちの言葉で、自分たちのまちに伝わったものを流したいという、地域の放送局ならではですね。阪神大震災の時に、FMわぃわぃのもとになったラジオ局が、民話や民謡を流していたのと同じですね。<br /><br />■震度6強の余震「防災とラジオ」<br />4月7日、震度6強の地震を宮城野区のビジネスホテルの8階で感じました。すぐ停電し、テレビはふってくる、風呂の水が出てくるような状態でした。懐中電灯を探して部屋から出ました。危ないので、ラジオをつけながら、非常階段で1階まで降りました。ラジオをつけたら、同じホテルに泊まっていた方々がラジオに寄ってきました。「防災とラジオ」ということを今までいろんなところで10数年、言ってきましたが、身をもってラジオの力を実感したのは初めてでした。ものすごく安心感がありました。夜はラジオが大きな支えになりますね。<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=be4c3b694fa00bba4e44579a3fa6649e&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1105_hibino2.mp3"></audio></div><br />■東日本大震災と多言語放送<br />FMわぃわぃは、震災当時5言語でしたが、現在は10言語で放送をしています。<br />神戸というと外国人の方が多いというイメージがありますね。東北はどうなのかな？と思っていました。今や、日本全国、農村に行けば花嫁さんとしてアジアから来ている人がいたり、研修生として水産工場で働いていたり、隅々まで外国人の方がいらっしゃいます。ただ、固まっているわけではないので、「ラジオ局の方の意識もそこまで高くないんじゃないか？」と思っていたんです。<br />でも、電話をしてみて、いい意味で裏切られていました。私たちが、「多言語の放送のCDを作ってお渡ししますよ」と申し出ると、「もうすでにやってますよ」という答えが返ってきたり、「自分たちの地域には中国の人たちいるので、言葉が分からなくて、つらい思いをしていると思うので、流したいです」と言われたりしました。<br /><br />■長田の英知が詰まった多言語情報CD<br />被災地の状況を多言語の音声情報にして、いろんな言語にしているCDです。災害FM局でCDプレイヤーにかけるとその情報が被災者に届けられるという仕組みのものです。阪神淡路大震災以降、積み上げてきたものです。<br />始まりは、96年の4月に長田区の消防署に勤めていらした人の一声でした。「カセットで、ボタン一つでいろんな言語の情報が流せるようなのが、ラジオ局に備わっていれば、何かあった時に、すぐ流されるじゃないか！」と。あらかじめある程度のものを作っておいたもの、災害が起こってから新たに情報を足していく仕組みなど、10数年やってきたものが、今回非常に役に立ちました。<br /><br />■神戸から、新潟そして東北へ<br />2004年10月の新潟県中越地震のときにも、多言語放送はありました。新潟にも、多くの外国人がいました。「何が起こっているかわからない」というニュースが届いたので、現地のFMながおかに、連絡をとりました。「新潟から情報を送っていただいたら、神戸で翻訳して、音声にして送ります。」と申し出ました。「30分でもいいから、多言語の情報を定時で流してほしい」とお願いしました。FMながおかは、3ヶ月間くらい放送してくれて、多言語放送の必要性を感じてくれました。<br />FMながおかも同じ被災地のラジオ局として、今回の震災の臨時FM局立ち上げの手伝いをしていました。そのときに、「多言語放送をしなさい」「そこに外国人がいるなら、出演してもらったらいいから」と伝えてくれたそうです。嬉しくなりましたね。<br /><br />■地域の復旧、復興を考えて　いろんな人と話しながら…<br />被災地の災害FM局に行くと、阪神淡路の被災地からやってきたことを喜ばれ、何もないところから素人で、情報を伝えなければ、とラジオを始めた仲間として話してくださいと言われました。<br />ある曲をかけても、「なんでこんな曲を流すな！」と言う人もいれば、「この曲を流してくれてありがとう」と言う人もいます。いろんな声が寄せられます。いろんなことを考えたら何も出来なくなります。地域の復旧、復興を考え、いろんな人と話しながら、自信を持ってやってくださいということを伝えました。<br /><br />■事前の備え　知見や横の繋がりがいきる<br />被害が甚大で、自分たちの無力感は被災地に行った瞬間に思いました。でも、一人一人、被災地の人たちと話をすると、やはり事前に備えをしていた者は、同じ災害が起こってそこから始まったとしても、スピードやネットワークや知恵が全然違うと思います。<br />震災直後、ボランティアを控えるようにという風潮がありました。しかし、石巻専修大学は、全国から1日1500人くらいのボランティアがテントを張って生活していました。校内を開放して、駅からのバスを運行して、積極的にボランティアを受け入れていました。この大学は、いずれ津波や災害が起こることはわかっていたので、職員を様々な被災地に派遣して、自分たちに何ができるか研究をしてきていたそうです。事前から備える、いろんな人とつながっていくことがいかに大切か、身をもって感じて帰ってきました。<br /><a name="more"></a>

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<title>4月市職員として出会った「阪神淡路大震災」の役所業務の矛盾とそこから始まった「神戸の冬を支える会」</title>
<description>2011年4月のゲストは神戸市職員觜本郁（はしもとかおる）さんです。110403_hashimoto_1.mp3■地震があった16年前、お勤めは？当時は、西区役所に勤めていました。震災当初から避難所のお世話をしていました。業務として、家屋の被災調査、避難所の当番、仮設住宅まわりなど、いろんなことをした記憶があります。日常の業務では、被災者の方の相談を聞くというのも相当なものであったと記憶しています。前年まで、灘区の福祉事務所に勤め、生活保護の仕事をしていました。お世話をした方..</description>
<dc:subject>ポッドキャスティング</dc:subject>
<dc:creator>FMYY</dc:creator>
<dc:date>2011-04-24T20:37:03+09:00</dc:date>
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<a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/20101221_hashimoto.jpg" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/20101221_hashimoto-thumbnail2.jpg" width="150" height="112" border="0" align="" alt="20101221_hashimoto.jpg" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/20101221_hashimoto-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />2011年4月のゲストは神戸市職員觜本郁（はしもとかおる）さんです。<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=d0741509b603620d1cb75ea69072078b&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/110403_hashimoto_1.mp3"></audio></div><br />■地震があった16年前、お勤めは？<br />当時は、西区役所に勤めていました。震災当初から避難所のお世話をしていました。業務として、家屋の被災調査、避難所の当番、仮設住宅まわりなど、いろんなことをした記憶があります。日常の業務では、被災者の方の相談を聞くというのも相当なものであったと記憶しています。<br />前年まで、灘区の福祉事務所に勤め、生活保護の仕事をしていました。お世話をした方が、どうなっているかとても心配でした。公務の合間をぬって、自転車に乗って、灘まで見に行きました。<br /><br />■灘区の福祉事務所に行って･･･<br />事務所にはほとんど誰もいませんでした。担当の遺体安置所にいる、とのことでした。灘区の遺体安置所であった王子スポーツセンターに行きました。以前、自分が担当をした5人の方のお名前もそこにはありました。<br /><br />■深夜にたずねて来られた一人の女性<br />父親が安置されていると聞いてやって来られた方でした。お父様のご遺体はとても傷んでいました。<br />一緒にいて、話をお聞きしました。どんな事情があったかは分かりませんが、お父さんとは離れて暮らしておられたようでした。ご遺体は、翌朝には親戚が来て、田舎へ帰るということでした。ここが最後だと思って深夜に駆けつけてこられたそうです。何年ぶりかの再会がこのような形でつらかったと思います。<br />数本の線香を持って来られていましたが、線香を立てるものもありませんでした。近くでご遺体に付き添っておられた方が、「これに突き刺すといいよ」とみかんを持ってきてくれ、お父さんを弔いました。こうして一緒に弔ってくれる人がいて、嬉しかったと涙を流して帰られました。その姿が忘れられません。一緒にいるというのが支えになるという一つの経験でした。<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=477ed3274576ca0f724989c139d74f68&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/110403_hashimoto1-2.mp3"></audio></div><br />■「お役所仕事」の歯がゆさ<br />斎場が足りず、他都市の斎場を借りることになり、明日の朝までに30体を選ばなければならなくなりました。「必ず埋葬許可があるもの」という条件がありました。ご遺族に「どうされますか？」と聞いてまわりました。<br />奥様を亡くされたご高齢の男性にもお聞きしました。この方は、埋葬許可を持っておられませんでした。埋葬許可をとるためには、王子スポーツセンターから、神戸大医学部まで行って遺体検案書をもらい、灘区役所で届けを出さなければなりませんでした。<br />「埋葬許可がない人をリストに入れるわけにはいかない。指示に従ってもらわないと困る」と仲間とも喧嘩になりました。<br />一人の若い職員にバイクで行ってもらうようにお願いしました。夜が明ける頃に埋葬許可が届き、ご遺体を斎場へ行くことができました。<br />200体を超える遺体を前にして、仕事をしてきたつもりでしたが、そうではなかったことを知りました。妥協せずに、おかしいことはおかしいと言っていくことが必要だと思いました。ご遺族の前で「何でも言ってください、何でもさせてもらいます」と言いました。その言葉には根拠や背景があるので、それを理解せずに、「できません」ということはよくないと思いました。<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=e0c7011bf12d5a71626ed548be90671b&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/110403_hashimoto_2.mp3"></audio></div><br /><a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/101221_hashimoto1.jpg" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/101221_hashimoto1-thumbnail2.jpg" width="150" height="90" border="0" align="" alt="101221_hashimoto1.jpg" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/101221_hashimoto1-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />■「神戸の冬を支える会」での活動<br />冬という名前が付いていますが、年中活動しています。震災直後、ホームレスの方が震災の被災者として取り扱われず、支援から排除されるのはおかしいのではないかということで団体ができました。95年の秋から冬にかけてできた団体です。<br />外国人支援のグループが震災直後に立ち上がり、その会議に出席した際に、「誰かホームレス支援や生活保護、福祉に詳しい人はいないか？」と尋ねられました。少しは知っていたので、私が手を挙げました。その後、支援活動に関わるようになりました。<br /><br />■生まれながらにしてのホームレスはいない<br />みんな生まれ故郷があって、思い出があって、夢を持って生きてきた人です。でも、なんらかの理由があって家を失い、公園や駅で寝泊りせざるをえなくなっている、そんな人たちです。好きでやっているわけではありません。誤解されている部分が多いと思います。<br /><br />■ホームレスの変化<br />今年は、200～250食を用意しました。2000年前後は500食以上、用意したこともあります。近年、公園で寝ている方は減ってきました。一時期は500人を超えていましたが、去年の調査では、140人でした。減っているようにも見えますが、喜べないこともあります。「ネットカフェ難民」という言葉もあるように、安定した家のない人がいます。形が変わり、見えにくくなっているという面もあります。<br /><br />■若者がホームレスを襲う事件<br />行動的に深い根があると思います。社会が、少年たちに、「ホームレスは、役に立たない人だ」というメッセージを送ってしまっているのではないかと思います。<br />震災のときも「救援物資を分けてもらえない」「避難所から出て行け」言われるという事実がありました。みんな理由は違うにしろ、家を失った者同士です。支援策から排除することはおかしいと思い、ホームレスの支援活動が始まりました。<br />多くのホームレスは、今まで社会を支えてこられた方です。不況になって収入がなくなって、そういう目に遭っている、というところまで想いが至らないというところに問題があると思います。排除しても何も変わりません。<br /><br />■最後に…<br />東日本大震災に対しても、やることはたくさんあると思います。ぜひ頑張ってもらいたいです。阪神淡路大震災のときの教訓や反省を、心の隅に置いておいてもらえたら嬉しいです。<br /><br /><a name="more"></a>

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<title>3月震災時の経験を大学のの教育の現場で地域連携と遠隔地連携で展開。</title>
<description>2011年3月の「大震災を語り継ぐ」のゲストは、神戸学院大学人文学科教授　前林清和さん110306_13_20_27maehayashi1.mp3■「防災・社会貢献ユニット」とは？学際教育機構という法・経済・経営・人文の4学部の学生が、2年次から3年間、選択して学べるコースです。全国唯一のコースです。防災・社会貢献ユニットの学生は、防災やボランティア、国際協力を専門的に勉強して卒業していくコースです。5～6年前にスタートしました。学生は、震災を経験している学生は3分の1から半..</description>
<dc:subject>ポッドキャスティング</dc:subject>
<dc:creator>FMYY</dc:creator>
<dc:date>2011-03-11T12:42:15+09:00</dc:date>
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<a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1103_maehayashi1.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1103_maehayashi1-thumbnail2.JPG" width="150" height="112" border="0" align="" alt="1103_maehayashi1.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1103_maehayashi1-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />2011年3月の「大震災を語り継ぐ」のゲストは、神戸学院大学人文学科教授　前林清和さん<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=2b41da927afd8a1cebc7dbe13af986e1&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/110306_13_20_27maehayashi1.mp3"></audio></div><br />■「防災・社会貢献ユニット」とは？<br />学際教育機構という法・経済・経営・人文の4学部の学生が、2年次から3年間、選択して学べるコースです。全国唯一のコースです。防災・社会貢献ユニットの学生は、防災やボランティア、国際協力を専門的に勉強して卒業していくコースです。5～6年前にスタートしました。学生は、震災を経験している学生は3分の1から半分くらいです。震災を経験した学生も、当時は2、3歳くらいです。<br /><br />■震災前から防災関連の研究を？<br />私の専攻は日本思想史です。震災直後から、自分のゼミ生を中心に、リュックサックを背負って、学生の安否確認をしました。ボランティアや防災について、学生と活動を始めたという感じです。これだけ大きな災害があって、負の遺産を次の世代や日本、世界のために教訓として学問体系として発信していきたい、カリキュラムとして組み込まれたものが必要ではないかと考えました。<br /><br />■学校の危機管理体制はいかがでしたか？<br />うちの学校だけでなく、どこもだと思いますが、神戸で地震が起きるなんて思っていませんでした。よく考えたら日本どこででも地震は起きるんですけどね。ハードの面でも、ソフトの面でも、人間の意識の面でも、日ごろの備えが大切だということを啓発していきたいです。<br /><br />■学生はユニットでどんなことを学びますか？<br />学問的なことも学びますが、実践的な活動も行います。心肺蘇生の訓練も受けますし、市民救命士のインストラクターの資格をとって、中学生や高校生に教えるという活動もしています。中学生や高校生は、学生と年齢が近い分、親しみをもちやすいのではないかと思います。人を教えるということで、学生たちは、徹夜してでも勉強をしてきますので、共に良い学びになると思います。ユニットは、Win-Winの関係を目指しています。新潟や佐用など、被災をした地域にも出向いて活動をしています。大きな活動はできないかもしれませんが、繋がることは支えになるのではないかと思っています。また、非日常の世界は、いくら口で説明しても、本を読んでも分からない部分が多いと思うので、現場に行って学ぶことは大きいと思います。<br /><br />■いつどこで何が起こるかわからない時代<br />災害は、増えているし、規模も大きくなってきています。私たちにふりかかってくる可能性は高くなっています。基本的には、自分で自分の身を守るという意識が最も大切です。日ごろそのような学びをしておくことが大切ですし、自分の身が守られた瞬間に、周りの人を助けようという共助の感覚を一人一人が見につけておく必要があると思います。<br /><br /><a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1103_maehayashi2.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1103_maehayashi2-thumbnail2.JPG" width="112" height="150" border="0" align="" alt="1103_maehayashi2.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1103_maehayashi2-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=dcd16988789ef413ca29dffffc9881ff&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/110306_13_20_27maehayashi2.mp3"></audio></div><br />■地域の大学との連携　～ポーアイにある4大学～<br />ポートアイランドにある4大学（神戸学院大学、神戸女子大学、神戸女子短期、大学兵庫医療大学）とも連携して、防災や健康についての活動をしています。それぞれに福祉や医療、防災など大学ごとに特色をいかしています。<br /><br />■遠隔地にある大学との連携　～東北福祉大（宮城）工学院大（東京）～<br />近くの大学は、連携しやすいですが、災害にあえば共倒れになる可能性も高いです。遠隔であれば、一つの大学が被害にあっても、二つの大学が助けることが出来るという発想です。<br />福祉、工学、人文社会など、大学の持ち味が異なっています。防災は、一つの学問分野では研究しきれない学問です。それぞれの大学の強み、特色をいかすことによって、総合的な研究ができます。それぞれの大学の講義をインターネット配信で授業も行っています。目の前に自分の大学の学生、2つの画面にそれぞれの大学の学生がうつっています。リアルタイムに質疑応答をすることもできます。夏休みや冬休みには、集中講義で、3つの大学の学生が集まって授業を受けることもあります。<br /><br />■「社会貢献学会」と「社会貢献活動支援士」<br />3月5日「社会貢献学会」を立ち上げます。一般的な学術学会ではなく、社会人や市民の方にもたくさん入っていただきたいと考えています。今まで、大学間連携で培ってきたものを、市民の方に活用していただいて、災害が起きたときに、お互いに助け合えるような知識や能力、実践力を身につけていただきたいと思っています。<br />「社会貢献活動支援士」という新しい資格も作っていきます。この資格の更新は、3年間で更新するシステムになっていて、資格のための資格ではなく、活動するための一つのツールだと考えています。実際に活動をしたり、学んでいくことが大切だと思っています。<br /><br />■これから起こるかもしれない<br />寺田寅彦先生が「災害は忘れた頃にやってくる」という名言を残しています。世界では年間400ほどの災害が起こっています。そう考えると、災害は毎日やってくるということで、この意識が大切だと思います。何か自分ができることをすること、（例えば、現地に行くことができなければ、募金をすることをするなど）視野を広げれば、災害に関わることが大切だと思います。<br /><br /><a name="more"></a>

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<title>2月神戸の定住外国人としての老華僑たちの震災体験、南京町商店街組合理事長老祥記の三代目曹英生さん</title>
<description>2011年2月の大震災を語り継ぐ　ゲストは南京町商店街振興組合理事長曹英生さん110206_13_20_27_sou1.mp3■春節祭間近に被災組合には、95店舗が加入していました。震災前日は連休で、たくさんのお客さんが来られていました。それが、震災で町の中はぐちゃぐちゃに、全く違う光景になってしまいました。「春節祭も近づいている。何かせなアカン。」あの年は、１月31日が旧暦の１月１日でした。17日は、ちょうどその2週間前。17日に許可書類の関係が完了するはずで「さあ、今から..</description>
<dc:subject>ポッドキャスティング</dc:subject>
<dc:creator>FMYY</dc:creator>
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<a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1102_sou_saijyo1.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1102_sou_saijyo1-thumbnail2.JPG" width="150" height="112" border="0" align="" alt="1102_sou_saijyo1.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1102_sou_saijyo1-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />2011年2月の大震災を語り継ぐ　ゲストは南京町商店街振興組合理事長曹英生さん<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=3dad0fe9353a9333952efca07306098f&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/110206_13_20_27_sou1.mp3"></audio></div><br />■春節祭間近に被災<br />組合には、95店舗が加入していました。震災前日は連休で、たくさんのお客さんが来られていました。それが、震災で町の中はぐちゃぐちゃに、全く違う光景になってしまいました。「春節祭も近づいている。何かせなアカン。」あの年は、１月31日が旧暦の１月１日でした。17日は、ちょうどその2週間前。17日に許可書類の関係が完了するはずで「さあ、今からやろうぜ」という日でした。そこで、緊急総会を開きました。多くの人が参加してくれ、祭は中止と決めました。まずは、店主や従業員の安否確認をしました。幸い、大きなケガ、死亡者はいませんでした。<br /><br />■春節祭の日に炊き出し<br />食べるものはあったが、冷たいものしかありませんでした。「神戸は食のまち、熱いものを提供したい」「少しでも幸せな気持ちになってもらいたい」ということで、炊き出しをすることになりました。春節が近づいていたので、プロパンを用意していた店が多く、それを使って、炊き出しができました。<br /><br />■「老祥記」のお店は？　まわりのお店は？<br />商売できる状態ではありませんでした。老祥記は、プロパンが使えることが確認できた2月1日から開店しました。その時は、販売するのではなく、10個ずつ包んで無料で持って帰っていただきました。その代わりに義援金箱を置きました。その日は7000個作りました。（普段は、1万個くらい作っています。）あの時は、物流は結構ありました。問屋のストックもありました。お客さんが来ないので、ミンチも冷蔵庫にたっぷりありました。小麦粉も結構ありました。<br />2月3日からは、普通の販売に切り替えました。早い店では、震災の翌日から、「腐ってしまうので」と肉をホットプレートで焼いて販売していました。華僑の前向きさや強さを感じました。それを見た日本人の魚屋さんも「うちは炭があるから」と肉屋に刺激を受けていました。<br /><br />■仲間の大切さ<br />区画整理が終わってからちょうど10年ほどで震災にあいました。建物は比較的頑丈でした。組合員の方は、みなさんのためになることをまず考えました。次に自分達のことを考えました。「人をこの町に戻したい」という気持ちでした。<br />今考えると恥ずかしいけど、地震から2、3日後に「神戸で頑張るより、大阪に行ったほうがいいのではないか」と一瞬考えたことがありました。でも、臨時総会で、みんなの意気込みを感じて、神戸で立ち上げなあかんと思いました。一人で考えると後ろ向きになってしまうことでもみんなでいろんな話をすることで、前向きな気持ちをもらいました。<br /><br /><a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1102_sou1.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1102_sou1-thumbnail2.JPG" width="112" height="150" border="0" align="" alt="1102_sou1.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1102_sou1-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=d9228f0e91262f9e4c710f0fa5862beb&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/110206_13_20_27_sou2.mp3"></audio></div><br />■「動」のまちづくり<br />老祥記は、おじいちゃんの代からです。高校生の頃から手伝うようになりました。昔は、外人バーがたくさんあって、昼からお酒を召し上がってハイテンンションな人がたくさんいらっしゃいました。昔と比べるとお客さんも増えて、ずいぶん賑やかになりました。<br />区画整理をして、観光地としての位置づけが、しっかりできました。どんどんお客さんが増えてきました。年がら年中お祭のような町です。いつも動いているのは嬉しいです。<br /><br />■自宅は？<br />中央区のマンション11階で、立っているものは、全て倒れました。「ダイ・ハード」という映画のようにガラスが床にまんべんなく散らばっていました。ケガをして、血がべったり足の裏についていたのに気付いたのは、1週間後、風呂に入ったときでした。<br />一時的に、自宅前の中学校に避難していました。初日は余震がひどく、眠れませんでした。新華僑（近年20年くらいに来た華僑）も老華僑（3代目、4代目にあたる人）も老若男女みな避難しました。中華同文にも、華僑だけでなく日本人もたくさん避難していました。<br /><br />■早々に避難所を引き上げて<br />ライフラインが全てで、商売どころではありませんでした。当時は、副理事長で、理事長と同じ避難所にいました。南京町は夜になると暗いので、パトロールを兼ねて住み移りました。自分の店で、親戚など17人が共同生活をしていました。<br /><br />■ガスが通った！<br />3月中旬、ガスが開通する記念に、復活祭をしました。はじめて獅子舞を出しました。神戸まつりが中止になったので、南京町で何かしないかというファックスがきました。そこで、元町商店街と一緒に、「こうべ5月まつり」をしました。大雨でしたが、アーケードの中でしたので、いつもの神戸まつりのようにマーチング、バトン、サンバも手弁当で来てくれました。日本人は「こんな時ににぎやかにしていいのかな」と自粛します。華僑が突破口になったかもしれないです。いろんな考えが混じってよかったのかもしれないです。<br />震災の時は、不思議と、信号がなくても譲り合う精神がありました。これが本来のマナーなんだろうなと思います。注意力も増していました。人間が持っている本能がよみがえったのがあの時期だったように思います。<br /><br />■未来へのメッセージ<br />まずは考えるより体を動かすことです。外に出て、観察して、人と話をする、一歩一歩の積み重ねが大事です。私達にとっては、炊き出しがまず１歩でした。お客さんへの顔、組合員に対しての顔が一致していないといけません。みなさんが幸せになって楽しくなるようなことを考えて実行しくことが大切です。一番大事なのは、行動力とお金です。中国人は、お金は幸せになる一つの手段だと思っています。お金をためるのではなく、有効的に使ってまちに人を呼び込む仕掛けを作るかということが大切です。<br />春節祭のほかにも、南京町には、3月から4月のはじめに「交流春風祭」があります。これは、春の神戸観光の一つの仕掛けです。中秋の時には、「中秋祭」をします。<br /><br /><div style="text-align:right;"><a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1102_saijyo1.JPG" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1102_saijyo1-thumbnail2.JPG" width="112" height="150" border="0" align="" alt="1102_saijyo1.JPG" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1102_saijyo1-thumbnail2.JPG.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a></div><a name="more"></a>

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<title>2011年1月　『震災の経験を語り継ぐことで乗り越えられたこと』　ゲストはNPO法人阪神淡路大震災1.17希望の灯り（HANDS）理事長白木利周さん</title>
<description>2011年1月のゲスト　NPO法人阪神淡路大震災1.17希望の灯り（HANDS）理事長の白木利周さん。白木さんご自身も、震災で息子さんを亡くされました。110109_shiraki1.mp3■1.17希望の灯り（HANDS）の活動東遊園地に希望の灯りを作っていただきました。希望の灯りをお分けする活動（分灯）や、各地にある慰霊碑をめぐるモニュメントウォーク、復興のシンボル「はるかのひまわり」を全国の皆さんへ送る活動などを行っています。一番大きなものは、1.17のつどいを行うこと..</description>
<dc:subject>ポッドキャスティング</dc:subject>
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<a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1101_siraki1-0bb00.jpg" target="_blank"><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1101_siraki1-0bb00-thumbnail2.jpg" width="150" height="112" border="0" align="" alt="1101_siraki1.jpg" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1101_siraki1-0bb00-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br />2011年1月のゲスト　NPO法人阪神淡路大震災1.17希望の灯り（HANDS）理事長の白木利周さん。白木さんご自身も、震災で息子さんを亡くされました。<br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=a6a2731b45682fb10633c2360ca85d09&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/110109_shiraki1.mp3"></audio></div><br />■1.17希望の灯り（HANDS）の活動<br />東遊園地に希望の灯りを作っていただきました。希望の灯りをお分けする活動（分灯）や、各地にある慰霊碑をめぐるモニュメントウォーク、復興のシンボル「はるかのひまわり」を全国の皆さんへ送る活動などを行っています。一番大きなものは、1.17のつどいを行うこと、震災を次の世代へ伝える語り部の活動です。ウォークは99年から始まり、この4月で60回目を迎えます。<br /><br />■息子さんの死、いまの活動<br />息子は神戸大学3年生、21歳で亡くなりました。家は、東灘区御影でした。家の倒壊が多い地域でした。私がそこにいて、助けることができなかったという悔しさ、「なんで息子じゃないとだめだったの？」「かわってやりたい」という気持ちが強かったです。「会いたい、でも会えない」というのが、悔しいし、残念で仕方がなかったです。<br />心の踏ん切りには、4年かかりました。偶然、神戸大の慰霊祭に出かけました。そこで、（ある番組の中の）ウォークで神戸大に来られていた方と出会いました。その方との出会いもあって、トンネルから抜け出すことができました。その出会いが、このような活動に入るきっかけを作ってくれました。慰霊碑のマップもつくっておられて、私の子どもに関する碑は、4箇所ありました。他にもたくさんの碑があったことに驚きました。自分の足で回りたいと思いました。<br /><br />■ウォークに参加して･･･<br />遺族の方との出会いが、気持ちを分かる人たちとの出会いでもあります。「自分たちだけが不幸」ではなく、「同じ立場の人がたくさんいる」と、お互いの気持ちをわかちあえます。心の負担が少しずつなくなっていきました。当時元気だった妻も、ウォークでみなさんと会うことを楽しみにしていました。しかし、妻は途中から体調を崩して。やっぱり「亡くなった子どものこと」を思っていました。それが結果的にはストレスをためる原因であったのかもしれないです。<br /><br />■東遊園地のモニュメント<br />東遊園地のモニュメントは2000年にできました。そこに行くと、妻は「私の名前も息子の名前と一緒に入れて欲しい」とずっと言っていました。2003年12月から、神戸市以外の方も、震災が原因でなくなられた方の名前も載せれるようになりました。<br />ご遺族の方から問い合わせがあった時に、どうやって、お気持ちをそこに表現していくかということを考えています。<br /><br />■希望の灯りと分灯<br />震災のとき、暗くて厳しい状況の中で、生きる力を与えてくれたのが灯りでした。完成した2001年には、神戸からの感謝ということで、全国に持っていきました。<br />1.17のつどいをやりたい、この灯りで何かをつくりたいというご意見であれば、分灯をしています。団体、特に学校が多いですが、今の中学生はもう震災を知らない世代になっているので、分灯も語り継ぐための道具になっているのではないかと思っています。<br /><a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1101_siraki2.jpg" target="_blank"><br /><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1101_siraki2-thumbnail2.jpg" width="112" height="150" border="0" align="" alt="1101_siraki2.jpg" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1101_siraki2-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><div class="audio-link"><audio style="max-width: 100%" controls="controls">このブラウザでは再生できません。<source src="https://blog.seesaa.jp/pages/tools/download/play?d=af779507338bb4caae318cda9ef2ea4d&u=http://daisinsai.up.seesaa.net/image/110109_shiraki2.mp3"></audio></div><br />■ルミナリエに新しくできた語り部コーナー<br />私も、毎日、現場に詰めていました。私は、子どものことについて、震災当時の話、その後の活動（中越地震の現場に行った話など）をしました。語り部場コーナーは、若い人からの「震災のことを伝えていかなければいけない。語り部をやりませんか。」という依頼で始まりました。神戸芸術工科大の学生を中心に、神戸市立看護大、大阪音楽大、神戸海星大の学生たち。大阪音楽大の学生の演奏の合間に語り部をしました。語り部の人を集めるには苦労しましたが、今後も続いていくように努力していきたいです。10人の語り部がいれば、10通りの震災に対する思いや考え方があると思います。<br /><br />■白木さんの震災に対する思い<br />「生き残った」とは思っていません。あくまでも「生かされている」ということです。いずれ、私も息子のところに行きます。その時、「おやじ、何やってきたんや？」と言われるのが一番辛いです。自分のできることで、少しでもお手伝いできればと思っています。活動の中で、「命の大切さ」、「生きている喜び」を感じています。生きていないと、自分のしたいことはできません。震災のときに、自分の思いの半ばでとまってしまっている人がたくさんいます。生きている人たちが、その人たちの思いや目標をつないでいって欲しいです。生きている間は、いろんなことができる。大切にして欲しいです。<br />世の中で自殺、殺人、いろんなことが起こっています。でも、本来あってはいけないことです。震災、災害について語っていただける時間をたくさん作っていってもらいたいです。必要とする人がいれば、必要とされる人がいます。1人じゃないです。<br /><br />■1.17のつどい<br />HANDSの他には、神戸市民交流会や和歌山から来るグループも参加しています。外国の方も炊き出しなどを提供しています。後片付けもふくめて、たくさんの人が参加しています。作業をすることで、交流をはかっていきます。最近は、若い人がたくさん入ってきてくれています。もっと入ってきて欲しいです。<br />竹筒も、兵庫県下の社会福祉協議会に協力を得て、竹を頂いています。つどいのあとは、竹墨に変えて、竹墨も販売して、運営の資金にまわしています。<br /><br />■白木さんにとって、この16年<br />「長かった」とは言うものの、実際にはとても短かったです。1月17日には、フラッシュバックのように、瞬間的に当時の状況に戻っていきます。活動をすることは、両肩にかかっている私の宿命です。みなさんと活動をすることで、ゼロにならなくても、軽くなっていきます。これからも頑張っていきたいです。<br /><a href="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1101_saijuo.jpg" target="_blank"><br /><img src="http://daisinsai.up.seesaa.net/image/1101_saijuo-thumbnail2.jpg" width="112" height="150" border="0" align="" alt="1101_saijuo.jpg" onclick="location.href = 'http://daisinsai.seesaa.net/upload/detail/image/1101_saijuo-thumbnail2.jpg.html'; return false;" style="cursor:pointer;" /></a><br /><br /><a name="more"></a>

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